1830年代初頭
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1817年、デヴィッド・リカードによって『経済学および課税の原理』が発表され、近代経済学は発展を見せた。かれは地代論を展開して、商品価値は労働力と関係があることを指摘した。また、商品を生産している労働者は対価として賃金を受け取るが、商品生産のための資本(土地・工場・機械・道具)を提供している資本家は労せず利潤を受け取る、これが社会の仕組み(資本主義)になっていることを明らかにしている。この経済論は「労働価値説」を説明するものであると同時に搾取の存在を示唆するもので、後の時代の社会主義思想の出発点になる考え方であった。このような考え方を発展させたのが、ロバート・オウエンである。オウエンは、産業の発達を真に担ったのは労働者であり、その労働者が貧しいのは資本家が搾取するためである、従って、労働者救済のために強固な組合組織と教育活動による社会の改良が必要であると考えていた。こうした考えは協同組合運動への労働者の結集へとつながっていく。 一方、1831年ヘンリー・ヘザリントン(英語版)とウィリアム・ラヴェット(英語版)は「労働者階級全国同盟」(英: National Union of the Working Classes) を結成、機関誌として『プア・マンズ・ガーディアン(英語版)』を発行した。かれらはフランスの『人権宣言』とトマス・ペインの思想を前文に掲げて綱領を発表した。まず、利潤や地代による収奪を批判して、労働全収権を提唱して労働者が労働生産物の全価値を享受する権利を訴えた。これと同時に雇用主の搾取に抵抗するための団結権やストライキ権の保証を求めていた。そして、その手段を議会の毎年改選・成人男子選挙権の導入・庶民員議員の財産資格の撤廃など議会改革の推進に求めていた。政治改革に限らず、社会経済的な変革を要求し、労働者階級の窮状を打破しようとしたのである。
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