1831年の噴火
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/22 04:25 UTC 版)
「フェルディナンデア」の記事における「1831年の噴火」の解説
フェルディナンデアが最後に島として現れたのは1831年7月のことであった。最初の噴火の予兆は、近くの街シャッカで伝えられるところによると、6月28日から7月10日まで高い地震活動が続いたことであった。7月4日には硫黄の匂いが街に広がり、銀を黒くしてしまうほどだったという。7月13日、煙の柱がドミニカからもはっきりと確認されている。住民は火事になったフェリーがいるのだと思い、同じ日に海域を通過したブリッグ船グスタヴォの船長は、海に泡が出ているのを確認して、海獣がいるのだと考えた。別の船は、水に浮かぶ死んだ魚の存在を報告している。7月17日には、完全に成長した島が形成された。 1831年の噴火では、島の大きさは4kmほどとなった。しかし島はもろいテフラで構成されており、波の動きによって簡単に侵食されてしまった。ひと通りの噴火が終わると急速に沈みはじめ、1832年の1月、その領有権を巡る問題が解決されうる前に、海の下に没した。1863年の新しい噴火では少しの間だけ顔をだしたが、すぐに沈んでしまった。最大時には(1831年の7月と8月)、島の周囲の長さは4800m、高さは63mであった。また島は2つの小さな湖を持っており、大きい方の周囲の長さは20mほど、深さは2mほどであった。
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