1830年-1841年、ボストン市役所
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「旧マサチューセッツ州会議事堂」の記事における「1830年-1841年、ボストン市役所」の解説
1830年から1841年まではボストンの市役所として用いられた。それまで市の事務所は郡庁舎の中にあった。1830年、アイザイア・ロジャーズにより、現存するらせん階段を含むグリーク・リバイバル様式への内装の改築が行われた。1832年には再び火事で損傷した。 当時、市役所は郵便局のほか民間企業と建物を共有していた。1835年10月21日、セオドア・ライマン市長は、暴徒に追われていた反奴隷制度新聞『リベレイター』編集長のウィリアム・ロイド・ガリソンをこの建物内に一時的にかくまった。その後一晩リヴレット・ストリート刑務所に保護されたが、暴動を引き起こしたとして告訴された。1841年、市役所はスクール・ストリートにある旧サフォーク郡庁舎に移転した。
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