1800年から1950年まで
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「パブ・セッション」の記事における「1800年から1950年まで」の解説
イギリスでは、1830年ビール店法 (Beerhouse Act 1830) がビールへの課税を廃止したことに伴い、すぐにたくさんのパブがイングランド各地に急増した。その数のピークは1870年代で、1900年以降は減少した。 1850年代には、たくさん作られていく学生歌や商業的な歌を集めた楽譜集がヨーロッパ各地で出版された。最も有名なものはジョン・ステュアート・ブラッキー(英語版)(1809年 – 1895年)による『スコットランドの学生歌集』(Scottish Students Song Book)である。伝統的な歌とエロスのユーモアの混在は現在まで続く。 アイルランドでは、アイルランドのセッションやダンスの音楽を1850曲集めたフランシス・オニール編纂の『アイルランドの音楽』(Music of Ireland、1903年初版)が特によく知られ普及している。 最もよく知られている乾杯の歌 (drinking song) の一つである「茶色の小瓶」(Little Brown Jug)は、1860年代から記録されている。 1908年よりパーシー・グレインジャーは民謡の録音を始めていたが、それは歌い手の本来の居場所であるパブではされなかった。 1938年に、A・L・ロイド(英語版)は 当時勤めていたBBCを動かして、イングランド東部のサフォーク州イーストブリッジ(英語版)にあるパブ「イールズ・フート」(Eel's Foot、「ウサギの足」の意味)の歌い手たちによる歌を録音した。1939年から1947年の間のイールズ・フートでは、"嘘が騎士を元気づける"( False Hearted Knight またはen:Lady Isabel and the Elf Knight)、"黒い目の船乗りたち"(The Dark-Eyed Sailor)、"プリンセス・ロイヤル"(The Princess Royal)、"フォギー・デュ―"(en:Foggy Dew)、"彼女のエプロンの下で"(Underneath Her ApronまたはGathering Rushes in the Month of May)、"楽しく喜びにあふれて"(Pleasant and Delightful)、"ブラックバード"(The Blackbird、クロウタドリのイギリスでの俗称)といった歌が歌われていた。驚くことに、それらの歌の1つにアメリカのIWW(世界産業労働組合)の歌である "貧乏人の天国"(Poor Man's Heaven) があり、1920年頃から記録されている。最古の歌手にはウィリアム・"ヴェルヴェット"・ブライトウェル(William "Velvet" Brightwell、1865年–1960年)がいる。1947年、BBCはより多くの録音を行い、"アングリアの歌"(Anglia Sings)と題して1947年11月19日に放送した。参加者のほとんど全員がその後の1950年代と1960年代にもいた。 アングリアの歌が放送された6年後、初めてのフォーク・クラブ(en:folk club)がイングランド北部ニューキャッスル・アポン・タインでオープンした。客層は平均年齢20代だった。
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