1690年~1706年: 晩年とは? わかりやすく解説

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1690年~1706年: 晩年(シュトゥットガルト、ゴータ、ニュルンベルク)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/28 07:22 UTC 版)

ヨハン・パッヘルベル」の記事における「1690年~1706年: 晩年(シュトゥットガルトゴータニュルンベルク)」の解説

エアフルトではオルガン奏者作曲家教師として著し成功修めたパッヘルベルであったが、明らかに彼はより良い役職求めていたようである。彼は上層部からエアフルト離れる許可請い1690年8月15日正式に自由の身となり、その努力忠実さ称える推薦状与えられた。 彼は1690年9月1日から2週間経たないうちに、公爵夫人マグダレーナ・ジビュラの後援によってヴュルテンベルク公国シュトゥットガルト)の宮廷音楽家・宮廷オルガン奏者就任した良い仕事ではあったが、大同盟戦争勃発しフランス軍攻めてきたため、そこでの生活はわずか2年幕を閉じた次の職場ゴータ市のオルガン奏者在職2年)で、1692年11月8日就任、アウグスティノ修道会マルガレーテ教会勤めた。この時期には彼の最初の、そして唯一のコラール前奏曲集 "Acht Choräle zum Praeambulieren "を出版している(1693年)。 かつての教え子であったヨハン・クリストフ・バッハ1694年10月結婚した際、バッハ家人々10月23日にオールドルフでそれを祝い音楽提供するためパッヘルベル作曲家たちを招待したパッヘルベルはおそらくそれに参加した思われもしそうであればヨハン・ゼバスティアン・バッハ当時9歳)とパッヘルベル出会った唯一の機会である。 ゴータでの3年間で、パッヘルベル二度求人受けている。一つシュトゥットガルトで、もう一つイングランドオックスフォード大学であるが、彼は双方とも断っている。ニュルンベルクでは、聖ゼーバルドゥス教会オルガン奏者であった(そして、彼のであったかもしれない)ゲオルク・カスパール・ヴェッカーが1695年4月20日亡くなり、市の権力者たちは、通常の採用試験行ったり、小さな教会から著名なオルガン奏者招いたりすることなく、(ニュルンベルク出身者として有名なパッヘルベル後継者として呼び戻すことを切望したパッヘルベルはそれに応え1695年ゴータの職を辞し、夏にニュルンベルク戻った。市からは日ごと経費支給された。 パッヘルベル残り人生ニュルンベルク過ごし室内楽曲集『音楽喜び』"Musikalische Ergötzung" を出版1699年には、鍵盤楽器のための6つの変奏曲アポロン六弦琴』(『アポロの六弦琴』、Hexachordum Apollinis)を出している。彼は主にイタリア南ドイツ作曲家たちの影響受けていたが、「アポロン六弦琴」をディートリヒ・ブクステフーデ捧げたように、北ドイツ楽派人々とも交際があった。晩年の作品としては他に、コンチェルタート様式によるイングレッススやマニフィカトといったイタリア風の宗教声楽曲や、グレゴリオ聖歌マニフィカト」の旋法用いた90曲以上の小フーガからなるオルガン曲集『マニフィカト・フーガ』がある。 1706年パッヘルベル52歳亡くなった彼の正確な死亡日は分かっていないが、埋葬3月9日行われた。Matthesonは3月3日7日ではないか見ているが、いずれにせよ遺体埋葬されないまま長らく置かれていたとは考えづらい。当時慣習として3回か4回の検死日を経てから埋葬していたので、1706年3月6日あるいは3月7日考えるほうがより自然である。墓は聖ロッフス墓地にある。

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