1回目の冬の時代クイズ王ブームとは? わかりやすく解説

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1回目の冬の時代・クイズ王ブーム(1983年 - 1993年)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/26 18:11 UTC 版)

競技クイズ」の記事における「1回目の冬の時代・クイズ王ブーム(1983年 - 1993年)」の解説

1983年12月関東学生クイズ連盟初代会長神谷昌孝の発案によりクイズ大会Man of the Year第1回開催された。この大会日本最初オープン大会とする見方存在する1980年代活躍したクイズプレイヤーによればこの頃多くクイズ愛好者は「テレビクイズ番組活躍すること」に意識向けており、アマチュアクイズ大会は、「テレビクイズ番組合間に行うレクリエーション的なおまけの存在」であると捉えていた人が多かったという。クイズ番組についても、今まで番組の形式とは異なり1980年代、『なるほど!ザ・ワールド』に代表される映像クイズ」と呼ばれる海外情報クイズへと移行していったため、視聴者参加型クイズ番組激減したクイズ・プレイヤー界隈では、この時代は「冬の時代」と呼ばれている。 1989年に、クイズ番組史上最強のクイズ王決定戦』が開始する。この番組皮切りに1990年代前半から強い人だけを戦わせようとするクイズ王番組」の時代へと移行していった。また、このときからクイズプレイヤーとして活躍していた人がクイズ作り手の側に回っていき、問題一般視聴者向けからクイズ愛好家向けに変わり、数文字正解導き出されるうになるなどの超人的な演出をされるようになっていった。その超人的な演出をするために、当時クイズ王番組は、クイズ愛好家の間で理解できる事項を問うようになっていき、今日言われるベタ問」のように、問題固定化ていったまた、クイズ愛好家できるだけ早く答えられるように、確定ポイント問題文の最初に置くようになり、クイズ問題文が一定の形式を持つようになっていった。 『史上最強のクイズ王決定戦』が1995年終了後クイズ番組はアンチクイズ王時代へと変わっていき、「平成教育委員会」や「クイズ!ヘキサゴン」などのタレント解答クイズ番組へ変わっていた。そして、クイズ王ブーム終焉した。このことがきっかけで、視聴者参加型クイズ番組出場のために練習早押し技術磨いていたクイズプレイヤーは、目標とする大会なくなってしまった。そこで、当時クイズ研究会が、日頃活動の成果出したり、目標とする大会自分達で作ろうとする動き加速した当時オープン大会は、『アメリカ横断ウルトラクイズ』影響強くでており、「正統的な問題出題し早押しで強い者が勝つ」という価値観開催されていた。

※この「1回目の冬の時代・クイズ王ブーム(1983年 - 1993年)」の解説は、「競技クイズ」の解説の一部です。
「1回目の冬の時代・クイズ王ブーム(1983年 - 1993年)」を含む「競技クイズ」の記事については、「競技クイズ」の概要を参照ください。

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