鳥類の恐竜起原説を巡る論争
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「羽毛恐竜」の記事における「鳥類の恐竜起原説を巡る論争」の解説
詳細は「鳥類の起源」を参照 「鳥類の起源」も参照 1859年にダーウィンによって種の起原が発表されてすぐに、イギリスの進化論支持者である生物学者のハクスリーは鳥類が恐竜の子孫であるとの説を提唱した。彼はコンプソグナトゥスと始祖鳥の骨格を比較し、前足と羽毛は別として、両者の骨格がよく類似していることを示した。1868年に彼は著作"On the Animals which are most nearly intermediate between Birds and Reptiles"を出版した。当時の恐竜研究の第一人者であったリチャード・オーウェンは、「始祖鳥は最初の鳥類であり、恐竜の系統とは大きく離れたものである。」として、ハクスリーの学説に反対した。20世紀に入ると,鳥類の起原を巡る論争の中で鳥類の恐竜起原説は主流からはずれ,鳥類の起原はワニ形類や槽歯類,あるいは主竜類のいずれかの系統にあるものとされた。 1964年になってジョン・オストロムが小型肉食恐竜・デイノニクスの骨格を報告したことによって鳥類と恐竜の系統関係は再びクローズアップされることになった(恐竜ルネッサンス)。その後,恐竜と鳥類の系統解析に分岐分類学が導入されたことによって、獣脚亜目のマニラプトラ類と鳥類の類縁関係は明確なものとなった(分岐分類学的な意味で厳密に言うと「鳥類もマニラプトラ類に含まれることが証明された」)。鳥類を含むマニラプトラ類に共通する特徴として、首の構造、恥骨の形状、手首の構造(半月形の手根骨)、腕と胸帯の構造(肩甲骨、鎖骨と胸骨を含む)があげられる。この他、100を超える解剖学的な特徴がマニラプトラ類の共有派生形質として知られている。 幾人かの研究者は恐竜と鳥類の共有派生形質と他の特徴に注目して、少なくとも、若干の獣脚類は羽毛に覆われていたと主張し始めた。1975年に出版された“ Dinosaur Renaissance ”の中で、Sarah Landryはコエロフィシス科のシンタルルスには羽毛があったと主張した。さらに、グレゴリー・ポールは1970年代の後半には原始的な羽毛を生やした肉食恐竜の復元図を発表した。 1990年代までに、大半の古生物学者は現生の鳥類を生きている恐竜と考えるようになり[要出典]、絶滅した恐竜(一般的にいう恐竜)を“非鳥類恐竜”として定義した。羽毛恐竜の発見の前だったので、その根拠はハクスリーやオストロムらの比較解剖学の情報にのみ限られていた。一部の主流の鳥類学者(スミソニアン博物館キュレーターのストーズ・オルソン(英語版)を含む)は鳥類の恐竜起原説に対して異議を唱えた。その根拠として、羽毛のある恐竜化石が見つかっていないことを挙げた。
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