鳥類の研究
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/04 04:07 UTC 版)
「リチャード・オーウェン」の記事における「鳥類の研究」の解説
彼の比較解剖学の知識の深さを示すエピソードがある。1839年、ジョン・ルールというニュージーランドの外科医が、何か大型の動物の骨を自分の甥が手に入れたのだが、と15cmほどの骨の欠片をオーウェンに見せた。その骨は両端が欠けてはいたが、何かの大腿骨であり、オーウェンはこれが鳥類の大腿骨であると断じた。ほかの研究者は、そのような頑丈で重厚な骨の持ち主が本当に鳥類なのか非常に怪しみ、欠片だけによってなされたその同定に疑問を持った。しかしオーウェンは、これが「ダチョウ様の飛べない大型地上生鳥類」の骨であるという自説を曲げなかった。はたして、すぐに別のニュージーランド人から木箱いっぱいの骨がやはり何の骨かわからず送ってこられ、そこには紛れもない大型鳥類の骨が詰まっていたのである。これこそがニュージーランドの絶滅鳥類モア (Dinornis ) であった。彼はこのモアについて長大な一連の論文を執筆している。 他の鳥類に関する著作では、キーウィに関する古典となった論文、アプトルニス、タカヘ、ドードー、オオウミガラスなどの論文が有名である。このうちタカヘはオーウェンの命名・記載から程なくして絶滅したと考えられていたが、20世紀半ばになって生存しているのが確認された。また、バイエルン地方の石版石から出土した始祖鳥についてのモノグラフは一時代を築いた仕事であった。ちなみに、この始祖鳥標本は世界で初めて発見された骨格標本を700ポンドで購入したものであったが、頭骨は失われていた。よって、オーウェンが無視した始祖鳥の爬虫類的特徴として「歯を持っていた」ことを挙げるのは少々的はずれである。始祖鳥に歯があることが判明するのは、オーウェンの発表後、世界初の標本を英国に持って行かれてしまったドイツ本国が血眼になって探し当てた第2標本に頭骨も保存されていたのが発見されてからである。
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