鰥寡孤独
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2015/09/06 06:14 UTC 版)
鰥寡孤独(かんかこどく)とは、律令制[1]において国家による救済対象とみなされた家族構成のこと。
概要
古くは『孟子』(梁恵王篇下)にも登場する言葉である。日本では平安初期の法律解説書である『令義解』の注釈にて具体的な解説が載せられており、「鰥」とは61歳以上のやもめ(妻を亡くした夫)、「寡」とは50歳以上の未亡人、「孤(惸)」とは16歳以下の父親のいない子供、「独」は61歳以上の子供がいない者を指したが、実際の運営上は鰥は60歳以上、独は50歳以上とされていた。戸令では鰥寡孤独のうち、生活が困難な者に対しては三親等以内の者に対して扶養義務を課し、それが不可能な場合には地域(坊里)で面倒をみるものとされた。また、賑給に際しては高齢者とともに支給の優先対象とされていた。
明治維新の際に新政府が全国民向けに発出した五榜の掲示においても、第一札で「鰥寡孤独廃疾ノモノヲ憐ムベキ事」が定められている。
脚注
- ^ 日本のみでなく、古代中国の律令制でも「鰥寡孤独」等に関する救済制度はあったという。出典は、肖 放『中国古代における障害者福祉思想の形成とその特徴に関する一研究』2012年8月9日webにて閲覧、広島大学大学院教育学研究科紀要、第一部、第57号,2008年、137~143頁より。
参考文献
- 宮本救「鰥寡孤独」、『国史大辞典 3』、吉川弘文館、1983年、ISBN 978-4-642-00503-6。
- 水本浩典「鰥寡孤独」、『日本歴史大事典 1』、小学館、2000年、ISBN 978-4-09-523001-6。
鰥寡孤独
出典:『Wiktionary』 (2021/12/14 06:56 UTC 版)
成句
発音(?)
- か↘んかこ↗どく
出典
- 【白文】
- 王曰、「王政可得聞與」。
- 對曰、「昔者文王之治岐也、耕者九一、仕者世祿、關市譏而不征、澤梁無禁、罪人不孥。老而無妻曰鰥、老而無夫曰寡、老而無子曰獨、幼而無父曰孤。此四者、天下之窮民而無告者。文王發政施仁、必先斯四者。詩云、『哿矣富人、哀此煢獨』」。
- 【訓読文】
- 王曰く、「王政聞くことを得可きか」と。
- 対へて曰く、「昔者文王の岐を治むるや、耕す者は九の一、仕ふる者は禄を世にし、関市は譏して征せず、沢梁は禁無く、人を罪するに孥までにせず。老ひて妻無きを鰥(くゎん)と曰ひ、老ひて夫無きを寡(くゎ)と曰ひ、老ひて子無きを独と曰ひ、幼くして父無きを孤と曰ふ。此の四者、天下の窮民にして告ぐる無き者なり。文王政を発し仁を施すに、必ず斯の四者を先にせり。詩に云ふ、『哿きかな富める人、哀しや此の煢独』」と。
- 【現代語訳】
- 斉の宣王が言った、「王者の政治についてお聞かせ頂けないか」。
- (孟子が)答えて言った、「昔、文王が岐[2]を治めていた頃、農民には収穫の九分の一しか課税せず、官吏には俸禄を世襲させ、関所や市場では取り調べはしても通行税や物品税を徴収したりはせず、沢地や、簗を仕掛けた川で漁をすることを禁止することもなく、罪人を処罰するに際しては妻子まで連座させるようなことはしませんでした。老いて妻のいない者を鰥(かん)といい、老いて夫のいない者を寡(か)といい、老いて子のいない者を独といい、幼くして父のいない者を孤といいます。これら四種類の人々は、世の中でも特に困窮している民であって、苦しみを訴える相手もない人々です。文王は政令を発して仁政を行うに際し、これら四種類の人々を真っ先に救おうとしました。『詩経』にも次のようにあります、『良いものだ、裕福な人は。哀れなのはこれらの身寄りのない人々だ[3]』」。
関連語
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