高校年代の強化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/12 07:20 UTC 版)
「サンフレッチェ広島F.Cの育成組織」の記事における「高校年代の強化」の解説
1993年、Jリーグが開幕すると、すべてのJリーグクラブは育成組織を持つことが必須となった。サンフレッチェ広島では当初ハード面で遅れており、特にユースは広島市内で練習グラウンドの確保すらままならなかった。そこへ高田郡吉田町(現安芸高田市)がサッカーを中心としたスポーツで町おこしをする「若者定住促進等緊急プロジェクト」の一環として全面協力することが決定、ユースは育成拠点を吉田町内に置き、町内の吉田運動公園を練習拠点として活動を開始した。 ほぼゼロからのスタートであったが、前身の東洋工業/マツダSC時代から若手を育てることがクラブとして生きる道だという思いから、若手育成のノウハウができつつあり、その後の試行錯誤から以下のような発展を遂げた。 トップクラスの環境(吉田サッカー公園、全寮制) 吉田町は広島市内から車で1時間半以上かかる遠方にあるため設立開始から全寮制をひいており、マツダで独身寮運営経験がある稲田夫妻を寮長・寮母に迎えた。当初は民家を借りて行っていたが、環境の充実をはかり、1994年にJリーグチームとしては初めてユース寮を新設した。稲田の定年退職に伴い2011年から中山夫妻が、2015年から3代目として遠藤夫妻が寮長・寮母に就任している。 1998年に吉田サッカー公園が完成し、本格的に練習を開始した。 吉田町との地域密着 地元吉田町との関係強化が進んでいる。 所属する全選手を広島県立吉田高等学校に通わせている。学校での生活態度を逐一報告を受け、成績の悪い選手はペナルティとしてユースの練習に参加させないようにしている。また高校の学校行事に積極的に参加、ときには吉田高校サッカー部(ここには広島ユース生は所属していない)や吉田中学校にユース監督以下スタッフを派遣し指導に当たるなど、互いに密な関係を築いている。 また設立当初からサッカーフェスティバルなど町民との積極的な交流を深めた結果、2000年代以降地域に溶けこんだ。ユースの全国大会決勝では町民が応援に駆けつけたりもしている。 ユース独自のスカウト網 専門のスカウトを置き、若年層の有望株を全国津々浦々まで網羅しカバーしており、その情報量は2004年当時は他クラブを圧倒していた。森山佳郎によると、それを見て他クラブも強化した結果一時期は広島に人材が流れてこなくなったが、そこから結果を出し続けたことで持ち直したという。
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