駅伝女王 - 女子長距離界のエースへ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 19:18 UTC 版)
「松野明美」の記事における「駅伝女王 - 女子長距離界のエースへ」の解説
松野の実質上の全国デビューはなんといっても女子駅伝である。全日本実業団対抗女子駅伝や全日本都道府県対抗女子駅伝などでは、小さな体で自分より大きなランナーを次々とごぼう抜きしていく姿が、(当時は女子マラソンや女子駅伝が始まったばかりで、駅伝中継に乗り出したTV局としても視聴率のとれるスターを求めていたということもあり)各メディアで鮮烈に取り上げられた。特に、ルーキーイヤーである1987年全日本実業団対抗女子駅伝では、初出場の熊本のニコニコドーという会社の名前やショッキングピンクのユニフォームも衝撃だったが、圧巻は最長の4区10キロで当時女子マラソンの第一人者だった増田明美(日本電気)を含む松野の12人抜き。非公認ながら10キロロードの日本最高記録32分17秒をマーク、松野は一躍全国の注目を集めた。まさしくそれは日本女子長距離界のエースが増田から松野へ代わった瞬間でもあった(これ以後、松野は増田明美とよく名前を間違えられた)。 1988年ソウルオリンピックでは、女子長距離トラック唯一の代表である10000m代表に選ばれた。本番でも積極果敢な走りを見せ、日本記録を出したものの次点で予選落ち。このとき、松野は増田の持っていた日本記録を6年ぶりに更新している。 女子駅伝の松野というとごぼう抜きのイメージが強いが、1988年第7回全国都道府県女子駅伝での荒木久美(鹿児島県チーム、ソウル五輪マラソン代表)との総合2位をめぐるアンカー対決(最後荒木にかわされ熊本チームは3位)など、印象に残る接戦も演じている。中でも1990年の全国実業団女子対抗駅伝では、新人五十嵐美紀(リクルート、バルセロナ五輪10000m代表)と最長区間4区で壮絶な総合2位争いを繰り広げた。松野は新人の五十嵐を軽くかわそうとしたが、五十嵐もかわされまいと前に出る。それに触発された駅伝女王・松野もまた前に出る…といった意地の張り合いはすばらしい接戦を生んだ。これは今日でも語り継がれる女子駅伝名場面である。チームとしてはニコニコドーは最終5区でリクルートに破れ総合3位にとどまるも、4区は松野が区間新記録で区間賞をとり、面目躍如。女王のまま、女子駅伝を去ることとなる。なお、同年九州実業団駅伝では10キロの非公認ロード記録・30分59秒をマークした。
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