香港での来歴
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/11 19:40 UTC 版)
1996年/1997年シーズンから香港ジョッキークラブでの騎乗を開始し、この年は9か月のシーズンのうち6か月を香港で過ごしただけだったが、同じ南アフリカ人で5度目の香港リーディングを獲得したバジル・マーカスに7勝差と迫る50勝を挙げて2位になった。 1997年/1998年シーズンからアイヴァン・アラン厩舎の主戦騎手となり、香港ヴァーズをインディジェナスに騎乗して制し、香港でG1初勝利を挙げた。 2000年/2001年シーズンに自身初となる香港リーディングジョッキーとなる。 2003年/2004年シーズンには、香港ジョッキークラブ史上初の年間100勝を突破し、シーズン106勝を挙げ4シーズン連続のリーディングジョッキーとなる。 2004年/2005年シーズンは、自身の記録を更新する114勝を挙げ、5シーズン連続のリーディングジョッキーとなる。 2006年/2007年シーズンは、91勝を挙げ7シーズン連続のリーディングジョッキーとなった。 2007年/2008年シーズン、12月5日にインターナショナルジョッキーズチャンピオンシップで優勝した。12月10日に香港通算947勝を挙げ、アンソニー・クルーズ調教師が騎手時代に記録していた香港歴代最多勝記録を更新した。その後、通算1000勝も突破し、8シーズン連続のリーディングジョッキーとなった。 2008年/2009年シーズン、4月5日に通算1100勝を達成するなどして9シーズン連続のリーディングジョッキーの座を獲得。 2009年/2010年シーズンは、ブレット・プレブルとの熾烈な争いとなった。特に前半はホワイトの勝ち星が延びず、一方でプレブルが好調を持続した為、遂にリーディングジョッキーの座を明け渡すかに思われたが、次第にその差を詰め、結局シーズン100勝をマークして10シーズン連続のリーディングジョッキーに輝いた。(プレブルとの差はわずかに1勝であった) 2010年/2011年シーズンは、引き続きプレブルとの戦いとなったが、これを制して11シーズン連続リーディングジョッキーを達成した。 2011年/2012年シーズンは、プレブルに加え、オーストラリアの新鋭ザカリー・パートンとの三つ巴のリーディング争いになったが、ここでもホワイトが2人を抑えてリーディングジョッキーの座を獲得した。 2012年/2013年シーズンは、これまでと様相が異なり、パートンが大きく勝ち星を伸ばしてホワイトが追う展開となり、そのままパートンが逃げ切るかに思えたが、ホワイトが後半勝利を重ねて101勝を記録し、遂にパートンを逆転。13季連続リーディングジョッキーの座を守った。 2013年/2014年シーズンは、香港国際競走での2連勝など、大レースでの勝負強さは光るものの、2014年1月現在の勝利数ではパートンに20勝以上の差を付けられて3位に甘んじており、14季連続でのリーディングジョッキーの獲得が厳しくなりつつある。 2014年シーズン以降は、パートンに加え、新たに香港で騎乗を開始したジョアン・モレイラ騎手に大きく差を付けられる状態が続いている。 2019年1月に2月限りで現役を引退し調教師に転身、2019/20シーズンからの厩舎開業が会見で発表された。
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