飛行への取り組み
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/04/20 05:56 UTC 版)
「カルル・フリードリヒ・メールヴァイン」の記事における「飛行への取り組み」の解説
職務の傍ら、メールヴァインは飛行という問題に情熱を注いだ。当時、気球はモンゴルフィエ兄弟によって成功を修めていた(1783年)一方、空気より重い飛行装置を使った数多くの試みはことごとく失敗に終わっていた。しかしメールヴァインは気球を「鳥のように飛ぶのではなく、ただ空中を漂うだけのもの」と批判している。 1782年、84年に発表されたメールヴァインの研究は、鳥を調査したところに依っていた。彼はマガモ、チュウヒ、アオサギ、ノガン、コブハクチョウ、トラフズク、ニシコクマルガラス、ヤマシギ、ヨーロッパヤマウズラなど様々な種類の鳥について体重と翼面積の関係を調べ、人間が飛ぶために必要な翼面積を割り出した。それにより、彼は自分の飛行具(「オーニソプター」と名づけられた)を翼面積126平方フィート(約12平方メートル)、最大重量200ポンド(約100kg)に設計した。 飛行者は、翼の重心下にある特殊な「ズボン」に固定された。操縦は「ズボン」が伸張され、鳥の尾羽のように広がることでなされた。彼の飛行具は、今日のハンググライダーとは違って翼が可動であった。メールヴァインはこの点でも鳥を模倣したのである。しかしながら彼は、翼を動かし、揚力を得るために不可欠なエネルギーの供給を軽視していた。 『ブリタニカ百科事典』は、メールヴァインが1781年に自作のオーニソプターで飛行に成功したとしている。これは、この種の飛行具を使った人類初の飛行であるかもしれない。ただし1781年の飛行は失敗したとする資料もある。 1784年8月4日にメールヴァインは自作の飛行具でエメンディンゲンの城山から飛び、150メートル離れた堆肥の山に着陸した。これはゲーテの義理の兄弟であるシュロッサーという人物に目撃されている。ただし1784年の実験は続く85年夏の実験(於ギーセン)と同様に失敗したという見解もある。
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