飛行の準備
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/12 04:17 UTC 版)
ボスホート2号の船長としてパーヴェル・ベリャーエフ、船外活動要員としてアレクセイ・レオーノフが選ばれ、2年間に渡る訓練が始まった。無重力で宇宙遊泳中の作業の手順を確認するため、急降下する飛行機の中で繰り返し訓練が行われた。ボスホート2号の打ち上げに向けての準備の途中、ニキータ・フルシチョフ書記長が失脚するという事件が起きたが、計画に大きな変更はなかった。 1965年2月22日、実際の飛行に先立って宇宙船と宇宙服の安全を確認するため無人の同型機が打ち上げられ、コスモス57号と名づけられた。各種機能の実証が行われる予定だったが、地上から誤った方法でコマンドが送信されたため、自爆装置が作動して本格的な活動の前に破壊された。同型機のストックはなく、試験飛行をやり直すためには新しいボストーク宇宙船を製造する必要があったが、そのためにはしばらく時間がかかり、アメリカが先に世界初の宇宙遊泳を行う可能性が高まった。 この事故を受けて計画の関係者が急遽バイコヌール宇宙基地に集結した。当時のソ連の宇宙開発の主導者だったセルゲイ・コロリョフはボスホート2号に乗る予定だったレオーノフとベリャーエフと相談を行った。レオーノフらは自信と信念に満ちており、リスクを覚悟で試験飛行なしでの打ち上げに同意したという。なお、エアロックについては3月に打ち上げられたコスモス59号でテストが行われたが、宇宙服のテストは行われないまま本番を迎えた。
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