非主流派への迫害とは? わかりやすく解説

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非主流派への迫害

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/09 05:11 UTC 版)

キリスト教徒による宗教的迫害」の記事における「非主流派への迫害」の解説

中世カトリック非主流派を「異端」と決め付け、死か改宗かを選ばせる厳し迫害行った一方で正教会等の他のキリスト教教派では異端殺害行われていないとされているが、実際には、ロシア伝わっていた正教旧来の信仰守り改革拒否した正教古儀式派初期指導者であるアヴァクームソロヴェツキー修道院修道士たちなど、主流派正教会破門され殺害されたものも存在する現在に至るまで正教圏においても宗教的少数派対す迫害継続的に存在している)。またこれらの諸派へのカトリックによる十字軍多く派遣された(北方十字軍アルビジョア十字軍など)。プロテスタントも、初期カトリックトリエント公会議などにより排斥され戦争の原因一つともなった。そうして差別晒されプロテスタントは、新天地求めて当時「発見」されたアメリカ大陸へと渡った。こうしてヨーロッパ人入植し、やがて成立したアメリカ合衆国ではプロテスタントの方が優勢であり、今度カトリック排斥されるようになった。 これは近世に至るまで続いており、アメリカ合衆国では、モルモン教末日聖徒イエス・キリスト教会)とそれ以外信者との間で軋轢を生み、モルモン戦争呼ばれる暴力の無限連鎖起こった結果モルモン教徒追放され西部移動した。さらに、1857年には、現在のユタ州周辺不法占拠状態だったモルモン開拓団対し連邦政府派遣知事受け入れ条件準州として認め連邦政府との協定モルモン教側が反故にしたことによりユタ戦争発生連邦政府騎馬隊4000人を派遣しモルモン教徒対峙した。この時東西からの挟撃恐れたモルモン教徒軍により無関係西部移民128名を武装解除させた上で8歳以下の幼児を除く120名を虐殺および略奪行為が行われ生き残った幼児たちも奴隷として売却された。(Mountain Meadows Massacre) 近年でも非主流派への迫害、および宗派間の対立は完全に解決しているとは言えない。第二次世界大戦においてカトリックであるクロアチア人ナチスバチカン黙認のもと正教会セルビア人大量虐殺強制改宗しており、後のユーゴスラビア内戦火種ともなった20世紀イギリス最大政治問題である北アイルランド問題は、カトリックとプロテスタント対立原因一つとして挙げられる

※この「非主流派への迫害」の解説は、「キリスト教徒による宗教的迫害」の解説の一部です。
「非主流派への迫害」を含む「キリスト教徒による宗教的迫害」の記事については、「キリスト教徒による宗教的迫害」の概要を参照ください。

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