非主流の立場からのクラシック戴冠
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/29 05:00 UTC 版)
「メイショウサムソン」の記事における「非主流の立場からのクラシック戴冠」の解説
メイショウサムソンに関わる人々は、総じて3歳GI、クラシックで毎年のように主役を張るような立場にいなかった。調教師の瀬戸口は、定年に向けて管理馬を削減しており、騎手の石橋はGI未勝利、担当厩務員の加藤繁雄は担当馬の重賞未勝利。さらに日高地方並びに浦河町の牧場は、サンデーサイレンスとその産駒で社台グループの大躍進を許しており、その格差は河村清明によれば「もはや挽回が利かないほど」だった。また、日高地方静内に繋養されていたメイショウサムソンの父オペラハウスも種付け数を大きく減少させている現状があった。 高額な良血馬と良血馬を掛け合わせて、最新施設でトレーニングを積む大手牧場生産馬が毎年のようにクラシックで良績を挙げている状況にあって、日高を応援する松本は、メイショウドトウで宝塚記念(GI)を勝利した過去を持ちながらも、自身の持ち馬でのクラシック勝利は「特に難しい」と考えていた。そんな状況でのメイショウサムソンの活躍は、柏木集保によれば「中小の生産牧場や、多くのオーナー、また多くのジョッキーにも、勇気を呼び覚まさせる希望の逆転快走だった」と表している。 後に凱旋門賞へ挑むことになるが(後述)、松本は動機の一つとして「日高の馬のためにも世界の頂点に行ってみたいという思いもある」と述べている。日高の生産馬として凱旋門賞に参戦するのは、1969年に着外のスピードシンボリ、1986年に14着のシリウスシンボリに続く3頭目。2頭は共にシンボリ牧場生産、所有であり、大規模経営を行うオーナーブリーダーによる挑戦だった。対してメイショウサムソンは、中小牧場の生産馬、個人馬主の所有。江面弘也によれば「日高の中小牧場で生まれた馬が凱旋門賞に出走するのは初めてといってもよく、日本の生産界にとっても意義のあることだ」という。凱旋門賞の応援にあたって松本は、林とその妻、縁の深い日高の生産者10人の旅費を負担。その額は「重賞の1着賞金にもなるとかならないとか」(田中哲実)だった。
※この「非主流の立場からのクラシック戴冠」の解説は、「メイショウサムソン」の解説の一部です。
「非主流の立場からのクラシック戴冠」を含む「メイショウサムソン」の記事については、「メイショウサムソン」の概要を参照ください。
- 非主流の立場からのクラシック戴冠のページへのリンク