静清地域(古代〜江戸時代)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 23:10 UTC 版)
「静岡市」の記事における「静清地域(古代〜江戸時代)」の解説
『古事記』『日本書紀』に、景行天皇の皇子、日本武尊は東国平定の折、当地に至り賊と戦ったとある(草薙剣伝説)。現在に伝わる「日本平」や「草薙」の地名はこれに因む。 廬原君が富士川から大井川までを支配。 珠流河国(現在の伊豆を含む県東部)と廬原国を併せ駿河国とした。 663年(天智2年) 百済王「今聞く、大日本の救将廬原君臣、健兒萬余を率て、正に海を越えて至らむ。願はくば、諸の将軍等は、預め圖るべし。我自ら往きて、白村に待ち饗へむ」(白村江の戦い=日本書紀)。 663年 大日本の救将、廬原の君臣、健児萬余を率いて (清水湊を出て) 正に海を越えて百済に至らむ(日本書紀、白村江の戦い)。 681年頃 駿河国の国府が駿河郡駿河郷(現在の沼津市大岡)から安倍郡に移る。 1200年頃〜 入江武士団の勢力伸長。吉川氏(入江一族)、承久の乱(1221年)等の戦功により西国に地頭職を得て西遷、後、岩国藩主となる。 1338年 今川範国、足利尊氏より駿河の守護に任じられる。 1560年 今川義元が桶狭間の戦いで討たれる。 1570年 武田信玄、水軍の基地を兼ね、巴川の左岸に江尻城を築き、駿河支配の拠点とする。 1585年 徳川家康、駿府城を築城 1607年 徳川家康は駿府城に入場、大御所として江戸を後見。 清水湊、甲州や西国の物資を江戸へ回送する中継基地として栄える。
※この「静清地域(古代〜江戸時代)」の解説は、「静岡市」の解説の一部です。
「静清地域(古代〜江戸時代)」を含む「静岡市」の記事については、「静岡市」の概要を参照ください。
- 静清地域のページへのリンク