霞の仮庁舎
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/04 18:14 UTC 版)
広島大学病院医学資料館。 戦後、当時中国地方行政事務局長を兼務していた楠瀬常猪知事は建物自体の被害が軽減であったことに加え最寄りの駅として宇品線上大河駅がある旧陸軍兵器補給廠を県庁舎として利用することを思いつき、1946年(昭和21年)2月国から賃貸の形で認可、同年6月移転、同年7月15日本格的に運用を開始した。 県庁舎として用いたのは旧兵器倉庫を中心とした8棟で、県の関係機関の他に国の出先機関も居を構えた、敷地内の利用状況は以下のとおり。 1 - 8号館 - 県庁舎1:建築部/商工部/土木部(営繕課) 2:土木部/陸運事務所 3:中国管区警察局/広島県警察本部 4:教育委員会事務局 5:県議会事務局/衛生部 6:総務部/(会計・用度課)/広島銀行 7:民生部/労働部 8:経済部/農地部 9号館 - 県税事務所 10号館 - 建設省中国四国建設局 11号館 - 大蔵省広島国税局 12号館 - 消防学校/県警察学校 13号館 - 大蔵省中国財務局 14号館 - 県警察学校武道場 15号館 - 県印刷所/職業補導所 16号館 - 補導所/修理工場/自動車車庫 1949年(昭和24年)敷地内5号館と6号館の間に木造2階建の県議会議事堂を新築している。 基町に新庁舎が竣工される1956年(昭和31年)まで利用された。翌1957年(昭和32年)9月、同地は広島大学霞キャンパス/医学部・附属病院となった。なおその時点で国の出先機関も居を構えていたが、上八丁堀の合同庁舎建設に伴い1960年(昭和35年)に移転している。 現在、当時の縁のものは旧11号館の資材を再利用して外観復元された「医学資料館」のみである。
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