電灯市営化時の購入電力
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/01 00:16 UTC 版)
「大阪市営電気供給事業」の記事における「電灯市営化時の購入電力」の解説
1923年10月1日、大阪市は大阪電灯から事業を買収して電灯事業の市営化が実現した。当初、大阪市は宇治川電気と大同電力の2社から以下のように電力を購入しており、供給事業用の電力は火力発電ではなく受電による方針とした。 宇治川電気からの購入電力夜間20,000kW、昼間1,900kW。大阪電灯と宇治川電気の間の契約を継承したもの。 昼夜間4,000kW。大阪市が宇治川電気との間に契約したもの。 昼間2,000kW。大阪市が宇治川電気との間に契約したもので、電灯市営化以前からのもの。 大同電力からの購入電力昼夜間16,000kW。大阪電灯と大同電力の間の契約を継承したもの。 昼夜間4,000kW。大阪市が大同電力との間に契約したもの。 宇治川電気からの購入電力のうち 1 については、大阪電灯が宇治川電気の間に締結していた営業協定に基き、電柱の共用を許す代わりに比較的割安な料金で購入していたものである。大阪電灯は宇治川電気からの受電を1913年(大正2年)10月に開始。電灯市営化に際して1923年6月市は大阪電灯・宇治川電気と契約を締結し、需給関係を引き継ぐこととなった。料金は 1・2 ともに1kWhにつき1銭3厘、責任負荷率は夜間85%・昼間80%である。また 3 は1914年(大正3年)11月に市が宇治川電気と契約したもので、料金は1kWhにつき1銭2厘5毛、責任負荷率75%であった。 旧大阪電灯と大同電力の間の受給開始は1922年(大正11年)7月にさかのぼる。供給契約は初め大同電力の前身日本水力と大阪電灯との間に締結され、日本水力と木曽電気興業・大阪送電が合併して大同電力が発足しても契約が維持されて関西地方への送電線完成により供給が始まった。同年11月には本契約が大同電力・大阪電灯間に成立し、料金のほか1924年(大正13年)春までに順次6万kWを供給すること、大阪電灯が合併や事業譲渡を行う場合は後継事業者にもこの供給契約を継承させることなどが取り決められた。 大阪市は大阪電灯の事業買収にあたり、当初は大同電力からの受電にこだわらず日本電力など各社から受電する方針をとり、大同電力・大阪電灯間の上記供給契約の継承を拒否する構えであった。一方で大同電力は市に対して契約の継承を求めたため、契約をめぐって大阪市・大同電力・大阪電灯三つ巴の紛糾が生じたが、最終的に市は大同の主張を認めるに至った。1923年6月、大阪電灯より大同電力に引き継がれることを前提に大阪市と大阪電灯の間に以下の内容からなる電力供給契約が締結された。 1923年10月1日より大阪電灯(=大同電力)は大阪市へ電力を供給する。 供給電力は最大20,000kW。その後供給を順次増加し最終的に1928年4月1日以降は定時55,000kW・不定時(冬季以外の供給)5,000kWの計60,000kWを供給する。ただし実際の供給はこの値から最大2割の増減が可。 1kWhあたりの基本料金は定時電力2銭3厘、不定時電力2銭。 責任負荷率70%。最低電力量(契約kW数に責任負荷率を乗した値)の超過分に対しては料金を1kWhあたり1銭3厘とする。 料金は3年毎に改訂する。 上記契約とは別個にもう一つ、大阪市は大同電力からの供給契約を締結していた。1920年(大正9年)3月に大同の前身大阪送電と締結した最大1万kWの供給契約で、1923年9月に以下のように契約を更新した。 1923年10月1日より大同電力は大阪市へ定時電力5,000kWを供給する。 1923年10月1日以降1928年までの間に定時電力5,000kWを追加供給する。 料金その他条件は大阪電灯・大阪市間の供給契約と同様とする。 上記2つの供給契約により1923年10月、大同電力から大阪市への電力供給が開始された。供給高は最大で合計25,000kWとされていたが、実際には最大2割まで供給を削減できるという契約中の条件を適用して2割減の20,000kWの供給で始まっている。これらが前掲大同電力からの購入電力の 1・2 に相当する。
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