難工事・運行開始
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 18:40 UTC 版)
「箱根登山鉄道鉄道線」の記事における「難工事・運行開始」の解説
建設中の箱根湯本駅 建設中の早川橋梁 建設中の出山信号場 こうして、ようやく建設は開始された。ところが、1914年に第一次世界大戦が勃発した影響で、計画していた資材の輸入が途絶、建設工事にも影響を及ぼした。 早川橋梁の建設に当たっては東海道本線の天竜川橋梁のトラス鋼体の払い下げを受けることになったが、景観破壊の恐れがあると神奈川県知事からクレームが入り、改築を条件にしてようやく認められた。この早川橋梁の架設工事が終了したのは1917年5月31日で、1915年に架橋工事が開始されてから2年近くかかっており、もっとも難航を極めた工事とされている。車両についても、当初はスイスから輸入する予定であったが実現せず、アメリカ製の車両を購入することになった。 さらに、1916年に行われた地質調査では、宮ノ下駅から二ノ平駅までの区間にトンネルを掘削することによって、蛇骨川の温泉脈に悪影響を与えることが判明した。山を切り崩すこともできず、トンネル掘削もできない状況では、山肌に沿って軌道を敷設するしか方法はなく、仕方なく遠回りのルートに変更された。当初計画になかった小涌谷駅は、この時に開設が決まった。 鉄道線開業直後の箱根湯本駅 開業直後の小涌谷駅 このようなことから、工事は大幅に遅れ、建設費は計画当初と比較すると大幅に上回ることになり、資金調達のために3度にわたり社債の発行や増資などを行う必要に迫られている。 着工から7年以上が経過した1919年5月24日にようやく全ての工事が完了。同年6月1日、箱根湯本駅から強羅駅までを結ぶ登山電車の運行が開始された。しかし、当初の登山電車は山を登るときにだけ利用され、下りは歩いて湯本まで出る利用者も多かった。同日に開業した乗合自動車より運賃は安かったものの、当時の往復運賃は職人の1日分の日当と同じ金額であったのである。
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