集大成『オテロ』
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「ジュゼッペ・ヴェルディ」の記事における「集大成『オテロ』」の解説
1879年11月、農場に届いたボーイトの台本『オテロ』に、ヴェルディは興味をそそられる。早速ミラノに行き話し合いを行った。しかしヴェルディは数年のブランクに不安を覚え、なかなか契約を結ばなかった。そこでリコルディはまたも一計を案じ、ボーイトと共作で『シモン・ボッカネグラ』改訂版制作を提案した。大胆なボーイトの手腕に触発されてヴェルディも新たな作曲を加え、1881年3月のスカラ座公演はかつてとは打って変わって大盛況を得た。 そして『オテロ』は動き始めたが、なかなか順調に物事は進まなかった。リコルディとボーイトがサンターガタを訪問し台本を詰めた。しかし『ドン・カルロ』3度目の改訂版制作で半年の足止めを受けた。さらに1883年2月にワーグナーの訃報に触れると、「悲しい、悲しい、悲しい…。その名は芸術の歴史に偉大なる足跡を残した」と書き残すほどヴェルディは沈んだ。彼が嫌うドイツの、その音楽を代表するワーグナーに、ヴェルディはライバル心をむき出しにすることもあったが、その才能は認めていた。そして、同年齢のワーグナーなど、彼と時代を共にした多くの人物が既に世を去ったことに落胆を隠せなかった。 それでも1884年の『ドン・カルロ』改訂版公演を好評の内に終えると作業にも拍車がかかり始めた。ボーイトはヴェルディを尊敬し、ヴェルディはボーイトから刺激を受けながら共同で取り組んだ。特にヴェルディは登場人物「ヤーゴ」へのこだわりを見せ、それに引き上げられて作品全体が仕上がっていった。そして1886年11月に、7年の期間をかけた『オテロ』は完成した。 冷酷な蒼穹にかけて誓おう! 『オテロ』、1887年、Act 2.出演:ティッタ・ルッフォ、エンリコ・カルーソー. この音声や映像がうまく視聴できない場合は、Help:音声・動画の再生をご覧ください。 1887年2月、ヴェルディ16年ぶりの新作オペラ『オテロ』初演にスカラ座は、期待以上の出来映えに沸き立った。チェロ演奏を担当していた若きアルトゥーロ・トスカニーニは実家のパルマに戻っても興奮が冷めやらず、母親をたたき起こして素晴らしさを叫んだという。『リゴレット』を越える嵐の表現で開幕し、各登場人物を明瞭に描き出し、彼が追求した劇と曲の切れ目ない融合はさらに高く纏められた。かつての美しい旋律が無くなったとの評もあるが、『オテロ』にてヴェルディはそのような事に拘らず、完成度の高い劇作を現実のものとした。
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