阿賀沖油・ガス田
【英】: aga-oki oil-gas field
新潟市の新潟東港北西方約 11km の日本海陸棚(水深 80m )に位置するわが国初の本格的海洋油ガス田。 日本海洋石油資源開発(株)(オペレーター)および出光石油開発 (株) 、アモコジャパン社(当時)により 1971 年 12 月に発見され、海上にプラットホーム 1 基が建設されて 1976 年 9 月に生産が開始された。生産された原油とガスはパイプライン(口径 14 インチ)で新潟東港の陸上基地へ混送され、東北電力 (株) 東新潟火力発電所などに供給されていた。 地質区としては、新潟盆地(背弧盆地)に属し、集油形態は背斜構造。油ガス層は第三紀~第四紀(椎谷層と西山層)の砂岩層で、深さは 1,800~2,340m 。原油は、比重 42.6°API、イオウ分 0.17 %、流動点-40℃。 生産量は、1977 年 8 月の油 333 キロリットル/日(2,095 バレル/日)、ガス 17.6 万立方メートル/日(623 万立方フィート/日)をピークとして減少し、1998 年 12 月に廃鉱を決定(生産停止)、1999 年 6 月に海上施設の撤去作業が終了した。累計生産量は、油約 140 万キロリットル(約 880 万バレル)、ガス約 41 億立方メートル(1,450 億立方フィート)であった。 <主文献「おはなし日本地理 6 資源I」(1978)、「世界の大油田」(1984)、「石油地質・探鉱用語集」(1989)、「日本の海洋石油開発」(1990)、「新潟の石油と天然ガス」(2000)、「石油・天然ガス資源の未来を拓く」(2004)> (齊藤 隆、2006 年 8 月) |

阿賀沖油ガス田
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阿賀沖油ガス田(あがおきゆガスでん)とは、かつて新潟県新潟市新潟東港約15km沖合に2箇所にわたって存在していた海上油田・ガス田である。2つのプラットフォームの設置深度は80m程度であった。
日本において、本格的にプラットフォームを設置して洋上掘削を行った草創期の油田の一つである[1]。日本海洋石油資源開発・出光石油開発・アコモジャパンにより共同開発が行われた。東新潟火力発電所にも天然ガスを供給していた実績がある。
歴史
- 1972年 - ボーリング調査により海底2,000m付近で油田、ガス田が確認される。
- 1974年 - プラットフォームが設置される。
- 1975年 - 洋上から新潟東港に至るパイプライン輸送管が敷設される。
- 1976年 - 生産が開始される。
- 1977年 - 日平均生産量が最大期を迎え、日生産量原油333キロリットル、天然ガス17万立方メートルを記録した。
- 1998年 - 資源の枯渇により生産が中止された。
- 1999年 - プラットフォームを撤去し閉山する。累計生産量は原油1,433千キロリットル、天然ガス4,072百万立方メートルであった[2]。
脚注
- ^ 社史:石油開発に進出し、新潟沖で出油に成功 - 出光昭和シェル
- ^ 沿革 - 日本海洋石油資源開発株式会社
関連項目
外部リンク
固有名詞の分類
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