阪神・淡路大震災とその後の復興
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/13 01:25 UTC 版)
「京阪神緩行線」の記事における「阪神・淡路大震災とその後の復興」の解説
「JR神戸線#阪神・淡路大震災からの復旧」も参照 1995年1月17日に発生した兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)では、京阪神緩行線は震源(朝霧駅沖の明石海峡)から武庫川(甲子園口駅 - 立花駅間)まで激甚被災地を貫いて走っていたことから、神戸市内を中心に強烈なダメージを受けた。発生時刻が早朝であったことから、車両の面では大きな被害を受けなかったが、鷹取駅東方で地震に遭った201系が1編成、駅の南東側で発生した大火災に奇跡的に巻き込まれずに高架線上に残っている姿は、繰り返し新聞やテレビで流された。大阪駅側では18日に尼崎駅まで復旧し、19日には甲子園口駅、25日には芦屋駅まで復旧区間が延びたが、西明石駅側の復旧は遅れ、23日に須磨駅まで復旧、新長田駅崩壊のため列車線や和田岬回送線を活用して、30日にようやく神戸駅まで復旧した。翌々日に高速神戸駅 - 阪神三宮駅間が復旧した神戸高速鉄道・阪神本線と併せて、発生以来約2週間ぶりに加古川・姫路方面から乗り換えをはさみながらも三宮まで鉄道で行くことができるようになった。復旧工事は突貫で実施され、2月8日には芦屋駅 - 住吉駅間が、2月20日には神戸駅 - 灘駅間が復旧、残るは高架橋が崩壊した六甲道駅周辺を含む住吉駅 - 灘駅間のみとなった。西明石駅 - 灘駅間の復旧に伴い、輸送力増強のために201系の一部編成を8両化し、T車を抜いた編成2本を連結して12両編成で運行した。この12両編成は、各駅停車のみが停車する朝霧駅・舞子駅・塩屋駅・鷹取駅の上り三ノ宮方面のホームのみを延長したため、下り西明石行きは快速として運行された。このほかにも広島運転所や日根野電車区から103系をかき集めて西明石駅 - 灘駅間に投入して車両不足を補った。その間にも新長田駅周辺の復旧工事を実施、3月10日に同駅がようやく営業を再開、4月1日には住吉駅 - 灘駅間が復旧し全線で運行を再開した。復旧後に201系を元の7両編成に戻したほか、103系も福知山線に転用するなど、インフラ面も含めて復旧後も復元に向けた整備が続いたのである。9月1日のダイヤ改正で、新幹線利用客の利便性向上のため朝時間帯のJR宝塚線乗り入れ列車を新大阪行きと吹田発に延長した。 1996年3月16日の改正で、21時台も8本で運行されるようになった。震災から1年半経過し、神戸市内も徐々に復興の兆しが見え始め、新長田駅復旧に伴い神戸市営地下鉄の利用者が増えたことなどから、同年7月20日の改正で、日中の神戸駅発着の系統が須磨駅発着に延長された。
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