関連聖句とその和訳
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「インナー・リッラーヒ・ワ・インナ・イライヒ・ラージウーン」の記事における「関連聖句とその和訳」の解説
以下に、関連聖句として、クルアーン第2章155節から同157節の原文とその和訳を示す。 関連聖句とその和訳節原文和訳2:155وَلَنَبلُوَنَّكُم بِشَيءٍ مِنَ الخَوفِ وَالجوعِ وَنَقصٍ مِنَ الأَموالِ وَالأَنفُسِ وَالثَّمَراتِ ۗ وَبَشِّرِ الصّابِرينَ われは、恐れや飢え、と共に財産や生命、(あなたがたの労苦の)果実の損失で、必ずあなたがたを試みる。だが耐え忍ぶ者には吉報を伝えなさい。 2:156الَّذينَ إِذا أَصابَتهُم مُصيبَةٌ قالوا إِنّا لِلَّهِ وَإِنّا إِلَيهِ راجِعونَ 災難に遭うと、「本当にわたしたちは、アッラーのもの。かれの御許にわたしたちは帰ります。」と言う者、 2:157أُولٰئِكَ عَلَيهِم صَلَواتٌ مِن رَبِّهِم وَرَحمَةٌ ۖ وَأُولٰئِكَ هُمُ المُهتَدونَ このような者の上にこそ主からの祝福と御恵みは下り、またかれらは、正しく導かれる。
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関連聖句とその和訳
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/30 04:25 UTC 版)
「有れ、すると有る」の記事における「関連聖句とその和訳」の解説
以下は、その文言が現れる聖句の一覧である。なお、注意点が2つあり、それは次の通りである。 注釈のついていない限り、「かれ」「主(しゅ)」「われ」は、いずれもアッラーという存在を指す。 イスラム教(イスラーム)においては、アッラーを指す場合の「かれ」という代名詞について、それは言語的制約かその影響に他ならず、アッラーに性別があるわけではないとされる。 関連聖句とその和訳節原文日本語訳2:117بَدِيعُ السَّمَاوَاتِ وَالأَرْضِ وَإِذَا قَضَى أَمْراً فَإِنَّمَا يَقُولُ لَهُ كُن فَيَكُونُ (かれこそは)天と地の創造者である。かれが一事を決められ、それに「有れ。」と仰せになれば、即ち有るのである。 3:47قَالَتْ رَبِّ أَنَّى يَكُونُ لِي وَلَدٌ وَلَمْ يَمْسَسْنِي بَشَرٌ قَالَ كَذَلِكِ اللّهُ يَخْلُقُ مَا يَشَاء إِذَا قَضَى أَمْرًا فَإِنَّمَا يَقُولُ لَهُ كُن فَيَكُونُ かの女は言った。「主よ、誰もわたしに触れたことはありません。どうしてわたしに子が出来ましょうか。」かれは言った。「このように、アッラーは御望みのものを御創りになられる。かれが一事を決められ、『有れ。』と仰せになれば即ち有るのである。」 3:59إِنَّ مَثَلَ عِيسَى عِندَ اللّهِ كَمَثَلِ آدَمَ خَلَقَهُ مِن تُرَابٍ ثِمَّ قَالَ لَهُ كُن فَيَكُونُ イーサーはアッラーの御許では、丁度アーダムと同じである。かれが泥でかれを創られ、それに「有れ。」と仰せになるとかれは(人間として)存在した。 6:73وَهُوَ الَّذِي خَلَقَ السَّمَاوَاتِ وَالأَرْضَ بِالْحَقِّ وَيَوْمَ يَقُولُ كُن فَيَكُونُ قَوْلُهُ الْحَقُّ وَلَهُ الْمُلْكُ يَوْمَ يُنفَخُ فِي الصُّوَرِ عَالِمُ الْغَيْبِ وَالشَّهَادَةِ وَهُوَ الْحَكِيمُ الْخَبِيرُ またかれこそは真理をもって、天と地を創造された方であられる。その日は、かれが「有れ」と仰せになれば、即ち有るのである。かれの言葉は真実である。ラッパが吹かれる日、大権はかれに属する。かれは幽玄界も現象界をも知っておられる。かれは英明にして凡てに通暁しておられる。 16:40إِنَّمَا قَوْلُنَا لِشَيْءٍ إِذَا أَرَدْنَاهُ أَن نَّقُولَ لَهُ كُن فَيَكُونُ 本当に事を望む時それに対するわれの言葉は、唯それに「有れ」と言うだけで、つまりその通りになるのである。 19:35مَا كَانَ لِلَّهِ أَن يَتَّخِذَ مِن وَلَدٍ سُبْحَانَهُ إِذَا قَضَى أَمْرًا فَإِنَّمَا يَقُولُ لَهُ كُن فَيَكُونُ アッラーに子供が出来るなどということはありえない。かれに讃えあれ。かれが一事を決定され、唯「有れ。」と仰せになれば、即ち有るのである。 36:82إِنَّمَا أَمْرُهُ إِذَا أَرَادَ شَيْئًا أَنْ يَقُولَ لَهُ كُنْ فَيَكُونُ 何かを望まれると、かれが「有れ。」と御命じになれば、即ち有る。 40:68هُوَ الَّذِي يُحْيِي وَيُمِيتُ فَإِذَا قَضَى أَمْرًا فَإِنَّمَا يَقُولُ لَهُ كُن فَيَكُونُ かれこそは生を授け、また死を授ける方である。かれが一事を決められそれに対し「有れ。」と仰せになれば、即ち有るのである。
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