開発の経緯と背景
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/22 03:40 UTC 版)
NAVi-5の開発は、「カメラやオーディオなど生活の隅々にまで進出しているコンピュータを、クルマの走りや味わいに生かす事はできないだろうか」という一人のエンジニアの素朴な夢から始まったといわれる。休み時間の雑談で若いエンジニアたちの共感を呼び、プロジェクトはスタートした。ただし、この時点では具体的に何を研究、開発するかは決まっていなかったというが、討議を重ねるうちに「マニュアルトランスミッションの超能力感性ロボット運転」にテーマが収束した。具体的なイメージとしては、人間の感覚、感性を理解したロボットが人間に代わってギアシフト、クラッチ、アクセル操作を行うというものである。 いすゞの藤沢工場にある研究部門で研究がスタートし、廃車寸前の1台のジェミニを譲り受け実験台に用いた。この段階では、クラッチ、ギアシフトを圧搾空気で作動させるべくエアボンベやエアシリンダーを用いた操作系に改造され、メンバーの一人は、3段の折り詰め弁当のごとく巨大なコンピュータユニットを製作し、一方、プログラムの元となる操作ロジックの検討を重ねるメンバーもいた。こうして、開始から6ヶ月程過ぎた頃、実験車は一応完成し、曲がりなりにも走行する事に成功した。 この時点までは、このプロジェクトは会社の正式な業務ではなく、あくまでも「有志による私的な研究」(クラブ活動的な)であり、研究は休み時間や終業後、休日などに行われていたが、走行に成功した頃、休日に工場の敷地内で走行実験をしていた際、たまたま通りかかった社長の目にとまり、半年後にもう一度社長自ら試乗したいとの話となった。これを開発メンバーが上司に伝えたところ、社内でも注目を集め、正式な業務としてのプロジェクトに昇格した。 この背景には、 いすゞは当時、GMの「グローバルカー(世界戦略車)構想」に参加しており、Jカー(いすゞ版は初代アスカ)の開発ではマニュアルトランスミッションの開発と製造を担当し、世界各地で生産されるJカーにMTを供給していたが、このクラスでもAT車比率が高まり、将来的にはMTの需要は減退する事が予想された。 日本ではアスカのライバル達のATは高度な多段式(電子制御などを備えた4速AT)に移行しつつあったが、アスカには旧式な3段ATしか無く、しかも、完成度の高い輸入品(GM製)に頼っていた。 などのいすゞ社内の事情があった。後にNAVi-5として結実するMTベースのATにより、低コストで高度な多段式ATを手に入れ、しかもMT需要の減退にも対処できると考えられたため、NAVi-5の開発にゴーサインが出たのである。
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