開発の経緯と名称
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/27 09:33 UTC 版)
「銀河 (航空機)」の記事における「開発の経緯と名称」の解説
1939年(昭和14年)頃、海軍では将来の基地航空兵力には、ヨーロッパ戦線で活躍しているような大型の急降下爆撃機を配備するのが望ましいと考えられていた。これは、支那事変における九六式陸上攻撃機の戦訓から、今まで以上の高速と航続力、大型爆弾を用いての急降下爆撃などが求められていたためである。その頃、空技廠では速度記録機Y-10、航続距離記録機Y-20、高度記録機Y-30の研究を行っていた。その後、海軍からの要求に応えるかたちでY-20をベースにドイツから輸入したJu 88Aに使用されている技術を導入することで高性能爆撃機を開発することとなり、十三試艦上爆撃機(D4Y1。後の彗星)試作一号機が初飛行して間もない1940年(昭和15年)末に「十五試双発陸上爆撃機」として開発が命じられた。ただしJu 88Aの技術は参考にならなかったとされる。開発主務者は彗星の設計主務者を務めた山名正夫技術中佐。実際には総括主務の三木忠直技術少佐が指揮していた。 十五試陸爆に対する海軍の要求性能は、概ね下記の様なものだったとされる。 一式陸攻と同等の航続力を持つこと(約5,556 km)。 零式艦戦と同等の速力を発揮可能なこと(約511.2 km/h)。 雷撃並びに1トン爆弾での急降下爆撃が可能なこと(急降下制限速度648.2 km/h)。 離陸滑走距離600m以内。 なお日本海軍の定義では、急降下爆撃機が「爆撃機」、雷撃機が「攻撃機」に分類される。本機は爆撃機として開発が始まり、途中で雷装可能であることが追加要求され、雷爆可能となった機体であるが、爆撃機に分類され名称も爆撃機の命名基準に従ったものになっている。なお同様に急降下爆撃と雷撃を兼用する艦上機である流星 (B7A1) は艦上攻撃機に分類されているが、名称は艦上爆撃機の命名基準に従ったものになっている。
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