開発と生産の進展
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 00:17 UTC 版)
「C-1 (輸送機)」の記事における「開発と生産の進展」の解説
昭和42年度から43年度で細部設計、43年度から試作が開始されており、試作機の製造および官側の領収までは日航製が主担当となって実施した。日航製が選ばれたのは、YS-11を製作した実績があり、その機能部品およびその他の関連部品を共用してコスト削減を図れること、また将来の民間機への改造可能性を視野に入れたことが理由であった。日航製は製造能力を持たないため、機体の製造は、三菱重工業、川崎重工業、富士重工業、新明和工業、日本飛行機の5社が分担生産していた。試作1号機(XC-1)の製造は1969年(昭和44年)夏から始まり、川重の岐阜工場で最終組み立てが行われ、1970年(昭和45年)8月にロールアウト、11月12日に初飛行した。 しかしながら試作機の開発・製造過程で、自社工場を持たない日航製の原価管理面での弱点が露呈し、各社分担による多額の赤字が発生、量産計画にまで影響を及ぼした。また日航製は設立立法によって民間機のみを製造するとなっていたため、しばらくしてこれを指摘されると、折りしも国会ではYS-11の赤字問題が追及されていたところで、野党議員によってXC-1も議題に上り、違法であるとの追及が巻き起こった。これらの事情により、量産は川重を主契約企業とすることとなり、1972年3月に先行量産契約(通算3・4号機)が締結された。
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