録音テープ提出
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 07:52 UTC 版)
「ウォーターゲート事件」の記事における「録音テープ提出」の解説
「合衆国対ニクソン事件」も参照 特別検察官の突然の解任が余りに反発が大きいものであったので、ニクソンはテープの公開を拒絶し続けることは不可能と判断して、ホワイトハウスが編集したテープの筆記録を提出することで連邦地裁のシリカ判事の間で合意した。だが、公表された筆記録には削除箇所が多数存在し、ニクソンの支持層の中心だった保守層からもニクソン支持を大きく低下させる結果になった。 やがて世論の総攻撃を受けて10月31日に録音テープの一部を連邦地裁に提出した。そして11月26日にその中の1本に18分30秒の消去された部分があることも判明し世論の疑惑を引き起こしたが、ホワイトハウスは、ニクソンの秘書だったローズ・メアリー・ウッズが電話応答の際に誤って録音機につけたペダルを踏んでテープを消去したと説明した。だが、ウッズが電話に出ながらペダルを踏むには、体操選手のように手足を伸ばさなければならないなど相当無理な姿勢になり、その様子を再現した写真もセンセーショナルに取り上げられてしまった。後に鑑定したところ、この消去は複数回にわたり念入りに行われたことであることが判明し、なおかつ違法行為として訴追対象になるほど大幅であることも判明した。 1974年4月4日に委員会が提出を求めていた録音テープの提出をニクソンが拒み、4月30日に42本のテープを編集した書き起こし1200ページに及ぶ資料を代わりに提出した。 録音テープ提出の問題は結局最高裁判所まで争われ、1974年7月24日、テープに対するニクソンの大統領特権の申し立ては無効とし、さらにコックスの後任の特別検察官レオン・ジャウォスキーにテープを引き渡すように命じる判決(合衆国対ニクソン事件)が全員一致で決定する(ウィリアム・レンキスト長官は辞退)。この命令に従い、ニクソンは7月30日に問題のテープを含めて64巻のテープを引き渡すこととなる。それはニクソンにとって政治生命の致命傷となるものであった。 このウォーターゲート事件の後半の時期はほとんどが録音テープに関する争いであった。それはニクソンへの信頼を少しずつ崩していく過程でもあった。オリバー・ストーンは「テープがなければ弾劾を免れていたはずだ」と語っている。
※この「録音テープ提出」の解説は、「ウォーターゲート事件」の解説の一部です。
「録音テープ提出」を含む「ウォーターゲート事件」の記事については、「ウォーターゲート事件」の概要を参照ください。
- 録音テープ提出のページへのリンク