銀行家らしい事業拡大
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 02:52 UTC 版)
「シュナイダーエレクトリック」の記事における「銀行家らしい事業拡大」の解説
1838年には機械工場を設置して国産第一号の蒸気機関車を製作した。翌年シャロン=シュル=ソーヌ造船所を吸収合併した。石炭採掘高は1837年の5800トンから1847年に10万トンへ躍進した。銑鉄は5000トンから1万8000トンに、錬鉄は2500トンから1万6000トンに、機械は1000トンから4500トンにそれぞれ生産量を増やした。1853年と1855年にクルーゾから約20km北方のクレオ(Créot)・メズネ(Mézenay)・シャンジュ(Change)の鉄鋼山を買収した。これらの鉱山は年間30万トンの鉄鉱石を供給した。この間1854年にフランス銀行へ理事を輩出した。1860年に英仏間に通商条約が結ばれて、自由競争に耐えうるよう資本集中が進んだ。1867年で工場敷地120ヘクタール、建坪20ヘクタールの規模であった。普仏戦争のころになると大砲や装甲鋼板などの兵器の生産を初め、一定の評価を得た。1879年ドイツのヴァンデルと共同出資によりトーマス製鋼法の特許を80万フランで買収し、ミネット鉱が豊富なロレーヌへ進出した。1882年ボルドー付近でジロンド造船所(Forges et Chantiers de la Gironde)の創立するときに巨額を出資、また1897年には地中海性鉄造船(Forges et Chantiers de la Méditerranée)を買収した。19世紀末には現在の事業の基盤となる重電機分野にも進出した。ベル・エポックにパリが国際金融市場としてもてはやされる中で、サンゴバンと並ぶ大企業となった。具体的にはテール・ルージュ(Terres Rouges)の製鉄所を支配してアーベッド(現アルセロール・ミッタル)株を保有するようになった。1919年、ユニオン・パリジェンヌと合弁の持株会社、ユニオン・ユロペンヌを介し、ドイツと東ヨーロッパへシュナイダー製品を輸出するようになった。後者についてはシュコダ財閥などに手広く利権を獲得していた。その後、大手グローバル電気グループのウェスティングハウス・エレクトリックと提携し、発電所を建設したり、電気機関車用電気モーターやその他電気装置を製造したりするようになった。
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