鉄道線の先行として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 05:11 UTC 版)
本路線は、1943年(昭和18年)8月に本様似と庶野・歌別と襟裳を結ぶ路線として開設されたのが始まりである。日本国有鉄道(国鉄)の建設予定路線として、改正鉄道敷設法133には「苫小牧~鵡川~浦河~広尾~帯広」間の路線があり、本路線は鉄道線の先行という使命を有していた。路線開設に当たって、既に日高地区で乗合自動車を運行していた日高自動車を買収するという方策を採っている。路線名は国名である日高と十勝を結ぶことからの命名である。 第二次世界大戦が終わった1949年(昭和24年)までに、様似と荻伏築港を結ぶ路線も延伸開業している。また、当路線を担当する様似自動車営業所は、1952年(昭和27年)より北海道の国鉄バスでは初の貸切バス事業を開始している。1965年(昭和40年)には、帯広とえりも岬を発着する路線も運行された。その一方、路線開設当初から行なわれていた貨物輸送については、1966年(昭和41年)に日本通運へ移管されたことにより廃止となったが、これは北海道の国鉄バスでは最後の貨物営業路線であった。 モータリゼーションの進展に伴い、路線バスの経営が圧迫されたため、合理化が行なわれることになった。国鉄バスも例外ではなかったが、日勝線では道路環境が悪いところが多く、完全ワンマン化は1983年(昭和58年)にずれ込んだ。
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