鈴木光男研究室時代とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 鈴木光男研究室時代の意味・解説 

鈴木光男研究室時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/13 06:51 UTC 版)

中村健二郎」の記事における「鈴木光男研究室時代」の解説

1970年1969年度末)、中村卒業論文ミニマックス定理不動点定理および分離定理との関係」を提出し同年4月東京工業大学大学院理工学研究科数学専攻進学。同専攻教授国沢清典の指導を受けるとともに引き続き鈴木研究室でゲーム理論研究続ける。1971年11月最初学会発表経験する1972年1971年度末)、修士論文「Mーquota Game のKー安定」を書き上げ4月からは社会工学専攻博士後期課程進学する鈴木1973年出版したゲーム理論の展開』では、他の研究メンバーとともに中村分担執筆担当。「コア理論」「手付け存在前提としないn人ゲームの理論」「シャープレイ値」「k安定理論」を執筆した1974年9月ドイツ行われたInternational Workshop on Basic Problem of Game Theory”に鈴木とともに招待される中村は“The core of a simple game with ordinal preferences”を報告した中村社会選択理論ゲーム理論適用し拡大戦略系ゲームという概念提案従来個別検討されてきた多く社会選択理論ゲーム理論統一的に扱った1975年3月中村博士後期課程修了し工学博士学位取得社会工学における最初工学博士とされる学位取得後工学部社会工学科助手就任するが、1976年鈴木理学部情報科学科移籍した際に、中村一緒に同学科へ異動している。私生活では1973年に父を失っていた中村であったが、同年12月結婚している。 研究室では、1975年農林水産省から来ていた黒川泰亨と共同研究実施1976年には鈴木との共著で『社会システムゲーム論アプローチ―』 が出版され、「社会工学的な分野柱石」と評価された。また、2学年下金子守とは、ナッシュ社会厚生関数取り組み中山幹夫とはハーサニの社会厚生関数研究している。大学院時代岡田章とは学会誌解説記事執筆し学会活動ではオペレーションズリサーチ学会研究普及委員務めている。 なお、中村博士論文投票ゲームコアが空でない条件導出しており、これをさらに発展した単純ゲームコアが空でないための条件を導くKeyナンバー定義する。この数はペレグによって中村ナンバーNakamura-number中村数)と名付けられた。これはアメリカ教科書講義でも、紹介されている。 詳細は「中村ナンバー」を参照

※この「鈴木光男研究室時代」の解説は、「中村健二郎」の解説の一部です。
「鈴木光男研究室時代」を含む「中村健二郎」の記事については、「中村健二郎」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「鈴木光男研究室時代」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「鈴木光男研究室時代」の関連用語

鈴木光男研究室時代のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



鈴木光男研究室時代のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの中村健二郎 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS