重巡洋艦建造計画
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/16 11:59 UTC 版)
「クロンシュタット級重巡洋艦」の記事における「重巡洋艦建造計画」の解説
ソ連海軍はロシア革命とその後のロシア内戦の混乱により、往時とは比べようもないほどに荒廃した海軍の建て直しのためにイタリアから援助を受け、技術者の招聘とソ連海軍士官のイタリア海軍への留学で、建艦技術の向上を図った。それに並行して、イタリア式設計による軽巡洋艦「キーロフ級」、「マクシム・ゴーリキー級」を建造した。これに気を良くしたスターリンは、第一中央造船設計局に列強の重巡洋艦を凌駕する重巡洋艦の建造を命令した。ソビエト連邦はワシントン海軍軍縮条約には加盟しておらず、同条約の「重巡洋艦は主砲は8インチまで、基準排水量は10,000トン以下」の制限は受けないため、これを凌駕する自由な発想で設計が行えた。しかし、ロシア帝国海軍とソ連海軍には重巡洋艦という艦種は存在しなかったため、設計者は便宜上としてロシア帝国海軍時代に建造した「装甲巡洋艦」や「大型巡洋艦」という名目で呼称し、設計を開始した。 設計は1930年代後半より始まり、1935年5月には仮称「X型巡洋艦」の設計を完了した。これは、単艦であらゆる作戦任務を行える万能型巡洋艦として設計されており、満載排水量2万トンで主砲は24cm砲3連装4基12門で水上機は12機も搭載し、更には小型潜水艇を2隻も搭載しておいて速力38ノットという意欲的な設計であった。また、同時期に「大型巡洋艦」案が提出され、これは満載排水量24,000トンで主砲は25cm砲3連装3基を搭載し速力36ノットを発揮するという設計であった。しかし、艦政当局はこれらの設計案を退けて基準排水量23,000トンの「22型装甲巡洋艦」の設計を開始させたが、後にこの計画も中止となった。
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