鄭氏政権の歴史的意義
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/12 17:02 UTC 版)
「鄭氏政権 (台湾)」の記事における「鄭氏政権の歴史的意義」の解説
鄭氏政権は短命に終わったが、台湾の政治と経済発展に大きな意義を有している。政権は台湾における最初の漢人政権であり、また台湾独自の政権としての地位を確立し、オランダ勢力を駆逐した後は兵糧問題を解決するために屯田政策を積極的に推進した。鄭成功は武将の陳永華の建議を採用し、中央集権的な官制を制定し台湾全島を統括する「主権」を確立する。実際イギリスや江戸幕府は東寧を独立国家として貿易を行い、東インド会社と鄭氏政権の間には通商条約も締結されている。イギリス側史料では鄭氏政権を「台湾王国」あるいは「フォルモサ王国」として表記し、鄭経に宛てた上書では「陛下 (Your Majesty)」との呼称が使用されていることからも、独立国として地位を獲得していたことを窺知することができる。 また鄭氏政権は、地方に割拠した一政権であるが、名目的には明朝暦法を奉じ、「回帰大陸」を究極の目的とし、政策立案や教育に関してもこの原則に従って実施されており、事実上の亡命政権であった。それまで琉求、夷州等さまざまな名称で史料に登場し名前が定まっていなかった台湾地区が、「台湾」と認識されるようになった。 漢榮書局(中国語版)発行の香港中学校歴史教科書副読本『風華再現──中國歷代名人錄』は、「帝皇與近代領袖篇」「名臣篇」「名將篇」「文學家篇」「文化思想家篇」「藝術家篇」「科學家篇」「抗日英雄篇」のなかの「名將篇」において、26人の名将の1人として鄭成功を教えている。
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