鄭氏政権での農業政策
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「台湾の経済史」の記事における「鄭氏政権での農業政策」の解説
鄭氏政権の存続期間は短期であったが、台湾の経済史の中では大きな発展がみられた時代である。特に注目されるのが貿易及び農業の振興政策であり、兵糧問題を解決するため、各将士に一定の都李を割りあて開墾を推進した。これら営盤田、文武官田と称される土地私有制を通した賦税制度の確立は経済資本を増大させることとなった。またその政権中期には陳永華による政権整備が進み、全島に統治権を行使した以外に階層分化も進み、台湾は歴然とした独立国家となり、独自の経済体として発展していった。 この時期の農業は食糧確保が優先され製糖作物から稲作に転換され、この農業経済の方向転換が現在の台湾にも影響を与えている。1665年、陳永華の農業灌漑事業は漢人の高雄地区への入植を促し発展していくこととなった。また製塩業の発展にも尽力し、前時代からの鹿皮などの商品を獲得するための狩猟活動も当時の台湾における重要な経済活動であった。 貿易方面ではイギリスや日本などが鄭氏政権が確立した台湾との貿易を行っている。イギリス東インド会社は鄭氏政権を「台湾王国」あるいは「フォルモサ王」として通商条約を締結するなど活発な活動がみられた。歴史上の鄭成功は、彼自身の目標である「反清復明」を果たす事無く死去し、また台湾と関連していた時期も短かった。だが、鄭成功は台湾独自の政権を打ち立てて台湾開発を促進する基礎を築いたこともまた事実である為、鄭成功は今日では台湾人の精神的支柱(開発始祖、「ピルグリム・ファーザー」)として社会的に極めて高い地位を占めている。
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