部隊の帰還とは? わかりやすく解説

部隊の帰還

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/30 05:04 UTC 版)

自衛隊ペルシャ湾派遣」の記事における「部隊の帰還」の解説

9月13日派遣部隊アブダビ集結したのち、すぐにドバイ移動して休養整備行い、同23日午後にアル・ラシッド港を出港して帰国途に就いたマスカットオマーン)、コロンボシンガポール及びスービック経由し10月28日夜半広島湾小黒神島沖に到着同地仮泊中に入国手続等を実施し30日呉に入港した。翌31日部隊解散し横須賀及び佐世保部隊は、それぞれの定係港に帰港した出発時には反対運動盛んだったのに対し派遣部隊活動内容国内知られるようになっていたこともあって、帰国時には歓迎ムード高まっていた。 10月30日海部首相出席の下、長官帰国行事主催することと決定されたが、行事当日帰国したばかりの隊員長時間拘束することを極力避けるため、前日29日仮泊地において、統幕議長海幕長、自艦隊司令官海幕防衛部長等による乗員との懇談実施し在日米海軍司令官ヘルナンデス少将参加した一方、呉以外の各定係港においても、それぞれの母港帰投した部隊対し帰国行事実施された。 30日帰国行事にはアル・シャリーク在日クウェート大使出席して感謝挨拶述べたほか、後日読売新聞感謝広告掲載するとともに派遣部隊参加していたすべての関係者記念メダル贈った部隊隊員に対しては、次の通り表彰が行われた。 部隊に対して - 特別賞状(職務遂行に当たり、特段推奨値する功績があった部隊)。自衛隊創隊以来初となる。 掃海派遣部隊指揮官 - 第1級賞詞 各級指揮官 - 第2級賞詞 その他の派遣隊総員 - 第3級から第5級までの賞詞 派遣部隊隊員総員 - 国際貢献記念章防衛記念章 ただし叙勲については、叙勲基準からして可能性がないわけではないしながらも、過去に例がないことを主たる理由として、防衛庁として申請行わないこととされた。

※この「部隊の帰還」の解説は、「自衛隊ペルシャ湾派遣」の解説の一部です。
「部隊の帰還」を含む「自衛隊ペルシャ湾派遣」の記事については、「自衛隊ペルシャ湾派遣」の概要を参照ください。

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