部隊の変遷
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昭和16年11月:長崎要塞防空隊を編成。稲佐山と星取山に計6門の高射砲を配備し、高射砲陣地を構築した。 昭和17年10月:独立防空第21大隊と改称。高射砲隊は、稲佐山と金比羅山に八八式七糎野戦高射砲を各4門配備し、星取山と神ノ島に十四年式十糎高射砲を各4門配備した。照空隊は長崎市各地に照空陣地を構築した。 昭和18年8月 :稲佐山、金比羅山、星取山、小榊、香焼島に八八式七糎野戦高射砲を各6門配備し、中ノ島(長崎駅)に十四年式十糎高射砲を2門、神ノ島に十四年式十糎高射砲を6門配備した。 昭和19年1月 :防空第24連隊と改称。高射砲4個中隊、照空2個中隊で編成される。 昭和19年6月1日 :高射砲第134連隊と改称。連隊本部は長崎市南山手14番地(現・グラバー園付近)に、戦闘指揮所は鍋冠山に位置していた。 昭和19年6月 :立神及び蔭ノ尾に九八式二十粍高射機関砲を9門ないし6門配備した。 昭和20年4月 :香焼島安保に九九式八糎高射砲を6門配備。立神及び蔭ノ尾の高射機関砲隊は海軍佐世保警備隊(九六式二十五粍三連装機銃を各陣地に2基ずつ)と交代。また、三菱兵器製作所大橋工場に配備されていた詳細不明の陸軍機関銃隊が、海軍佐世保警備隊第26分隊樋口隊(九六式二十五粍連装機銃を家野町、山里町、西町の各陣地に2基ずつ)と交代している。 昭和20年5月以降:稲佐山、香焼島、星取山に配備の八八式七糎野戦高射砲3個中隊を伊万里、大刀洗、宮崎へ転用したため、戦力が低下する。 3個中隊転出後の戦力は、以下の通り。 金比羅山:八八式七糎野戦高射砲6門 中ノ島:八八式七糎野戦高射砲2門 小榊:八八式七糎野戦高射砲4門 星取山:十四年式十糎高射砲2門 神ノ島:十四年式十糎高射砲5門 香焼島安保:九九式八糎高射砲6門 昭和20年8月9日:B-29ボックスカーによる長崎市への原子爆弾投下により、爆心地から3km以内に位置する金比羅山高射砲陣地・照空陣地、中ノ島高射砲陣地・照空陣地、稲佐山高射砲陣地・照空陣地、油木照空陣地は甚大な被害を被り、連隊全体では戦死5名、重症102名(後日死亡30名)、建物全壊6棟、半壊6棟などの損害を受ける。 昭和20年9月21日:復員
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