過去に存在したキャンパス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 07:00 UTC 版)
「明治大学」の記事における「過去に存在したキャンパス」の解説
八王子分校 1883年に地元有力者の川崎有徳(改進党系代言人)らの誘致により八王子横山町に開設された(校長兼教頭・依田銈次郎)。生徒数の減少と経済上の理由により1年半ほどで廃校となった。 麹町分舎 麹町区一番町54番地に短期間存在した寄宿舎兼用校舎。同地は西園寺公望の実兄徳大寺実則邸の一角で、畳敷きの建物で講義を行ったという。なお、麹町分舎の近隣には宮城浩蔵邸と矢代操邸もあった。 錦町分校 1903年に元神田中学校校舎を購入、高等予科校舎とした。翌年9月に経緯学堂(中韓両国の留学生を対象とする予備教育機関)を併設。1909年に商科が増築移転し、1912年5月末まで使用された。 大久保校舎と聖橋校舎(工学部) 1949年に誕生した明治大学工学部は当初和泉で授業を行っていたが、理科系の設備が皆無の状態であったため、1950年に新宿区大久保の保善商業高校の校舎を借用、さらに1951年7月聖橋学園の校地を買収し、1965年に現在の生田キャンパスへの移転が完了するまで聖橋校舎として使用した。 秋葉原サテライトキャンパス(※2010年度廃止) 世界的な情報産業の研究開発拠点を目指す「秋葉原クロスフィールド」計画に参画し、IT関係を中心とした産官学連携事業を展開する拠点として2005年(平成17年)、秋葉原ダイビル内に開設された。セミナースペース・研究スペース・コラボレーションスペースから成り、理工学部などの技術セミナーや企業との共同研究、研究成果のプレゼンテーション・デモンストレーションなどに使用された。他に東大、筑波大等が入居。
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