過去に同一視された神々
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/15 12:55 UTC 版)
「タケミナカタ」の記事における「過去に同一視された神々」の解説
タケミナカタは過去に共通点のある神々に比定されることがあった。 伊勢津彦説 『伊勢国風土記』や『播磨国風土記』に登場する伊勢津彦(伊勢津比古神)は、神武天皇の東征の際に、天日別命(天之御中主神の12世孫)に国土(後の伊勢国)を譲るように迫られ、最終的に国をあとにして信濃国へ行ったといわれている。この伝承は『古事記』におけるタケミナカタの説話と似ているため、伊勢津彦をタケミナカタと同視する、あるいは関連付ける説は南北朝時代から見られる。この説を支持した本居宣長は、タケミナカタが出雲から逃亡した際に、信濃国に行く前に最初は伊勢国へ避難したと想定していた。ただし信濃国へ逃げたという記述は後世の追補記事とされる。 御穂須々美命説 タケミナカタは『旧事本紀』においては沼河比売の御子神とされているため、『出雲国風土記』に所造天下大神(大国主に比定)と奴奈宜波比売命(沼河比売)の御子神として登場する御穂須々美命と同一視する説もあり、平田篤胤の『古史伝』や鈴木重胤の『日本書紀伝』にはこれが採用されている。案外通りがよかったのか、一時は諏訪社の内部にまでもこの説が浸透したという。実際には、御穂須々美命を祭神とする諏訪神社は複数存在する。 火明命説 『播磨国風土記』に大汝命(大国主)の子として登場する火明命と同視する文献もある。タケミナカタと御穂須々美命を同一神と解した鈴木重胤は、更に進んで御穂須々美命(御火進命と解釈)の神名や母の神名(弩都比売で能登姫と解釈)から火明命に比定した。 天八現津彦命・長髄彦説 『記紀』や『先代旧事本紀』、『諸系譜』に記載される天八現津彦命(アメノヤアキツヒコ)・観松彦色止命(ミマツヒコイロト)、長髄彦(ナガスネヒコ)と事代主神との近親系譜関係や他氏族との世代関係、後裔諸氏の関係や考古学的成果、また共通する「トミ」(登美、刀美、富)や「ナガ」(那賀)の名称や、祭祀・習俗からタケミナカタ、天八現津彦命・観松彦色止命、長髄彦を同一視する説。磯城彦と大神氏の関係は太田亮が早くに言及している。 上記のほか、『日本書紀』に登場する天津甕星、普段はタケミナカタの御子神とされる片倉辺尊、兵主神、天手力雄神、あるいは下筒男命などとも同一神とされた。
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