運航拡大
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 20:31 UTC 版)
「デ・ハビランド DH.106 コメット」の記事における「運航拡大」の解説
翌1953年には試作2号機がファーンボロー国際航空ショーで超低空90度バンク(ローリング)ターンを決めて見せたほか、エリザベス王太后らを乗せた招待飛行を行うなど、イギリス航空界はその存在を存分にアピールした。 さらに8月には南回り航路経由でヒースロー-羽田間(ローマ、ベイルート、カラチ、カルカッタ、香港など経由)や、ヒースロー-シンガポールという長距離路線にも定期就航した。第二次世界大戦中にジェット機の試作と量産開始にまで成功したものの、占領下で航空機開発の一切を禁じられ、ジェット時代の到来になす術もなくいた日本の元航空技術者たちは、コメットの銀翼と快音に悔しがったと言う。 「ドル箱路線」の1つであった大西洋横断路線にこそ就航していなかったものの、順次航路を全世界に拡大したのみならず、まもなくエールフランスやトランス・カナダ航空、UATなどでも運航開始され、懸念された燃費も低廉なジェット燃料と高い満席率で相殺できることがわかり、就航当初の様子見気分は払拭された。また、イギリス王室メンバーの海外訪問やイギリス連邦諸国、そして植民地訪問にも頻繁に利用され、その威信を内外に誇示した。 ロールス・ロイス・エイヴォン・エンジン搭載のパワーアップ型 Mk.IIは、日本航空やパンアメリカン航空、エア・インディア、南アフリカ航空、アルゼンチン航空など世界中の長距離国際線を運航するフラッグ・キャリアから50機以上のバックオーダーを抱え、コメットは順風満帆の船出であった。 さらに大西洋横断飛行用に航続距離延長と機体の延長が施されることとなったコメットMk.IIIは、パンアメリカン航空やキャピタル航空などのアメリカの航空会社からの発注を受けるなど、量産体制に入ったデ・ハビランド社は前途洋々であった。
※この「運航拡大」の解説は、「デ・ハビランド DH.106 コメット」の解説の一部です。
「運航拡大」を含む「デ・ハビランド DH.106 コメット」の記事については、「デ・ハビランド DH.106 コメット」の概要を参照ください。
- 運航拡大のページへのリンク