進行する機関化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/08 10:09 UTC 版)
「1マレーシア・デベロップメント・ブルハド」の記事における「進行する機関化」の解説
1965年、シンガポールがマレーシアから独立したが、証券取引所は分離されず、クアラルンプール証券取引所とシンガポール証券取引所の両市場への上場や売買取引が認められていた。1967年、東南アジア諸国連合(アセアン)が成立したが、マレーシアも加盟国であった。1970年代、中国の経済特区をまねた輸出加工区というのがシンガポールで成功し、これが1980年代前半マレーシアなどの加盟国に導入された。マレーシアは国内市場が狭小であるため、輸出へ依存した開発構造をしている。ビッグバンのあおりで、1984年イギリスから「独立」したブルネイが連合に加盟してきた。1985年、シンガポールのパン・エレクトリック(Pan-Electric Industries)が破綻し、マレーシアとシンガポールの両市場が三日間取引停止となった。翌1986年マレーシアの休日中、シンガポール証券取引所で空売りが集中し、翌日クアラルンプール証券取引所が大混乱に陥った。1987年初頭、クアラルンプール証券取引所のブローカー業務は機関化され、個人は参加できなくなった。ミューチュアル・ファンドが太平洋に蔓延してゆくにつれて、アセアン・デバイドと呼ばれる垂直的な貿易関係と経済格差が連合内に生まれていった。マレーシアの場合は国営企業が次々と民営化された。証券は一応ブミプトラ資本が消化したことになっている。もっとも、1989年銀行法改正で外銀支店がすべて現地法人化していることには注意を要する。1995年ごろからマレーシアでは実需に基かない銀行貸出需要がおこった。貸し出された資金はキャリー取引へ向かった可能性が高い。海外機関投資家へリンギットが流れ、外貨は産業金融へ回らず外国証券に変わった。その末にアジア通貨危機が起こった。そこで山積した不良債権は、資本市場を機関化しながら、政府主導で2002年末までに国内処理された。分散した損害は輸出益で補填しなければならなかった。
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