迷彩ジャングル・スーツ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/27 05:58 UTC 版)
「軍服 (第二次世界大戦の米陸軍)」の記事における「迷彩ジャングル・スーツ」の解説
当初太平洋戦域でアメリカ軍が使用したつなぎのHBT作業服の代わりとして1942年8月から支給が開始されたのがM1942迷彩ジャングル・スーツだった。 HBT生地のつなぎ(カバーオール)であり、「フロッグスキン」と呼ばれる迷彩パターンが両面にプリントされていた。表側は緑、裏側は茶色の色彩が強い。前合わせはジッパーで閉じ、喉元は金属製ボタンで留めた。左右の胸と腰に大きな貼り付けポケットがあり、四角い蓋を2個のボタンで留めるようになっていた。スーツの下には何も着ず、肌の上に直接着用した しかしジャングルスーツは高温多湿の太平洋地域では服が重たすぎ、着心地は暑すぎた。蚊から身を守る目的でつなぎになっていたが、大便するときに裸にならなければならないのでかえって危険だった。しかも太平洋戦域ではマラリアなどによりそうした場面が頻繁にあった。迷彩の「フロッグスキン」も動かなければ効果があったが、動くとかえって目立ち、逆効果だった。そのため前線ではすぐに使用されなくなり、後方部隊に回されるようになった。前線兵士には1943年5月から前述のツーピースのHBT作業服が戦闘服として支給されるようになった。ただし動かない狙撃兵にはジャングルスーツも有益だったという。 1944年6月のノルマンディー上陸作戦に備えてツーピースの迷彩服も開発された。ノルマンディー上陸作戦に参加した一部の部隊に使用されたが、ドイツの武装親衛隊と間違われて味方に誤射される兵が続出したため、こちらも前線ではすぐ使用中止となっている。 以上の通り米軍の迷彩服は第二次大戦では限定的な使用にとどまり、一部の部隊にしか支給されなかったため、一般には迷彩服を全軍に大量支給したドイツ武装親衛隊が迷彩服の先駆者であるとされている。なおアメリカ陸軍で初めて本格的に使用された迷彩服はベトナム戦争中の1965年に採用された「ERDL(英語版)」である つなぎのM1942迷彩ジャングル・スーツ(1944年1月ニューギニア) ツーピースのM1942迷彩ジャングル・スーツ(1944年7月後半ノルマンディー)
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