辰口信夫
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辰口 信夫(たつぐち のぶお、1911年8月31日 - 1943年5月31日[注釈 1])は、日本の陸軍軍医。第二次世界大戦中のアラスカ州アリューシャン列島のアッツ島の戦いで33歳で戦死した。アッツ島での戦闘中に短い日記を残しており、この日記は日本軍視点からのアッツ島の戦闘状況を伝える歴史資料として名高い。
注釈
出典
- ^ “DIARY OF NEBU TATSUGURI, M.G.Medical Officer, North Pacific, Defense Field Hospital Attu Island”. 2009年2月19日閲覧。
- ^ Hays, p. 32.
- ^ Hays, p. 32-33.『使命に燃えて』93頁では、父主一は1903年10月7日に帰国後、神戸で開業し、1904年11月頃、広島市大手町4-29で開業とされている。
- ^ 藤本大士『近代日本におけるアメリカ人医療宣教師の活動 : ミッション病院の事業とその協力者たち』 東京大学〈博士(学術) 甲第35651号〉、2019年。doi:10.15083/0002001823。NAID 500001475442 。
- ^ Tominaga, McDaniel, Hays, p. 33.
- ^ Tominaga, McDaniel, Hays, p. 33 & 141.
- ^ 『使命に燃えて』309頁。
- ^ Tominaga, McDaniel, Beauchamp, Hays, p. 33 & 141.
- ^ McDaniel, Hays, p. 33.
- ^ Tominaga, Hays, p. 34 & 141.
- ^ Beauchamp, Hays, p. 34 & 141.
- ^ Beauchamp.
- ^ Tominaga, Beauchamp, Hays, p. 35.
- ^ Beauchamp, Hays, p. 35.
- ^ Tominaga, McDaniel, Beauchamp, Hays, p. 11, 19, 35–36.
- ^ Tominaga, McDaniel, Hays, p. 36.
- ^ 戦史叢書, p. 325.
- ^ Hays, p. 135.
- ^ 戦史叢書 p. 353. なお、米軍が本当に化学兵器を使用したかについては資料・証言によって様々に異なる。
- ^ Garfield, p. 298, Hays, p. 36 & 136.
- ^ 戦史叢書 p. 380.
- ^ Garfield, p. 328, Cloe, p. 290, McDaniel, Hays, p. 140–141.
- ^ 戦史叢書 p.441 なお、一部名前を英文より補った。出典書籍においては、名前の部分は、全て不明瞭のため伏せ字になっている。
- ^ McDaniel, Hays, p. 22–23.
- ^ 戦史叢書 p.457 資料により生存者の数は異なる。日本側公式記録では27名。
- ^ McDaniel, Hays, p. 31 & 156.
- ^ a b c Tominaga
- ^ Tominaga, Hays, p. 29 & 31.
- ^ Tominaga, McDaniel, Hays, p. 31–32.
- ^ McDaniel, Hays, p. 37–38.
- ^ 戦史叢書 p.557 「見習士官の手記したものを英文に翻訳。これを更に日本語に訳したものの抜粋」
- ^ Garfield, p. 328, Cloe, p. 290, Tominaga
- ^ Cloe, p. 335, McDaniel, Tominaga
- ^ McDaniel
- ^ CBS NEWS 60 Minutes, April 9th. 2019
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