辰口を殺したアメリカ兵と娘ローラとの再会とは? わかりやすく解説

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辰口を殺したアメリカ兵と娘ローラとの再会

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/24 04:28 UTC 版)

辰口信夫」の記事における「辰口を殺したアメリカ兵と娘ローラとの再会」の解説

1943年5月29日。辰口は玉砕の命を受け、家族宛の最後のメッセージ書き記した後、小さな湖を望む露頭進んだ。その下にはアメリカ軍潜んでいた。その中にはディック・レアード(Dick Laird)軍曹がいた。レアード小山見上げると8人のアメリカ兵日本兵捕虜となっているのが見えた。そこでレアード日本兵向けて手榴弾二個を投げた手榴弾炸裂したが、数名生き残りがいたので、レナードは他の兵士とともに全員殺したレナードは8人殺した。彼はその功績により勲章授与された。 しかし、彼は彼が殺した内の一人遺留品中にカリフォルニア住所や名前を記した住所録日記帳見つけたレナードは、たった今殺した敵が家族愛す一人人間であったこと気づいた。その後、彼は一生1943年5月29日忘れことはなかった。そして毎晩悪夢苦しんだその後、彼はカリフォルニア移住していた辰口の末娘ローラ探し出した1984年ローラの元を訪ねたが、去り際に「あなたのお父さん殺したのは私です。」と告げて車で走り去った。彼はローラ元に彼の連絡先置いていったが、ローラは彼を許すことができず、それから10年連絡することはなかったが、ある日アッツ島もう一人退役軍人が彼女に渡したいものがあるという手紙ローラ届いた。それは、辰口が残した聖書だった。 聖書最初のページには”Therefore, choose life."「よって、生を選べ。」と記してあった。その聖書は今、ロサンジェルスアメリカ国立博物館寄贈されている。さらに聖書には彼女を含む姉妹写真はさまっていた。 ローラは、レアードがなぜ、自分父親殺したのだと告白してきたのかを考え自分だけがレアード罪の意識呪縛から開放してあげられるとの思い至り、「あなたも父もお互いに自分の国と自分自身守ろうとしていただけだった。あなたの責任でなない」という内容の手紙をレアード宛てて書いたレアード手紙受け取った時、涙を流した。そして、アッツ島去って以来始めて、ようやく悪夢のない眠りについたその後ローラレアード再会し交流レアード2005年亡くなるまで続いた

※この「辰口を殺したアメリカ兵と娘ローラとの再会」の解説は、「辰口信夫」の解説の一部です。
「辰口を殺したアメリカ兵と娘ローラとの再会」を含む「辰口信夫」の記事については、「辰口信夫」の概要を参照ください。

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