辰口を殺したアメリカ兵と娘ローラとの再会
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「辰口信夫」の記事における「辰口を殺したアメリカ兵と娘ローラとの再会」の解説
1943年5月29日。辰口は玉砕の命を受け、家族宛の最後のメッセージを書き記した後、小さな湖を望む露頭に進んだ。その下にはアメリカ軍が潜んでいた。その中にはディック・レアード(Dick Laird)軍曹がいた。レアードが小山を見上げると8人のアメリカ兵が日本兵の捕虜となっているのが見えた。そこでレアードは日本兵に向けて手榴弾二個を投げた。手榴弾は炸裂したが、数名の生き残りがいたので、レナードは他の兵士とともに全員を殺した。レナードは8人殺した。彼はその功績により勲章を授与された。 しかし、彼は彼が殺した内の一人の遺留品の中にカリフォルニアの住所や名前を記した住所録と日記帳を見つけた。レナードは、たった今殺した敵が家族を愛する一人の人間であったこと気づいた。その後、彼は一生1943年5月29日を忘れることはなかった。そして毎晩悪夢に苦しんだ。 その後、彼はカリフォルニアに移住していた辰口の末娘ローラを探し出した。1984年、ローラの元を訪ねたが、去り際に「あなたのお父さんを殺したのは私です。」と告げて車で走り去った。彼はローラの元に彼の連絡先を置いていったが、ローラは彼を許すことができず、それから10年連絡することはなかったが、ある日アッツ島のもう一人の退役軍人が彼女に渡したいものがあるという手紙がローラに届いた。それは、辰口が残した聖書だった。 聖書の最初のページには”Therefore, choose life."「よって、生を選べ。」と記してあった。その聖書は今、ロサンジェルスのアメリカ国立博物館に寄贈されている。さらに聖書には彼女を含む姉妹の写真もはさまっていた。 ローラは、レアードがなぜ、自分が父親を殺したのだと告白してきたのかを考え、自分だけがレアードを罪の意識の呪縛から開放してあげられるとの思いに至り、「あなたも父もお互いに自分の国と自分自身を守ろうとしていただけだった。あなたの責任でなない」という内容の手紙をレアードに宛てて書いた。レアードは手紙を受け取った時、涙を流した。そして、アッツ島を去って以来始めて、ようやく悪夢のない眠りについた。 その後ローラとレアードは再会し、交流はレアードが2005年に亡くなるまで続いた。
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