輸送力増強の方策
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 18:19 UTC 版)
旅客は1961年(昭和36年)当時、年間1億人を突破し、1日約30万人を輸送していた。沿線の開発や将来の難波延長によりますます旅客が増加することは明らかであった。当時奈良線では、朝夕のラッシュ時において、毎時特急、急行、準急列車各4本のほか、普通列車を合わせ計30本を運転していたが、各列車とも超満員で、最多客区間の乗車率は定員の230%に達していた。 輸送力増強の方策としては、15m級小型車両や18m級中型車両の編成長増強と、21m級大型車両の運行の2つの方法が検討された。1968年(昭和43年)度における輸送量を前提として、あらゆる経費を計算した結果、総建設費が大型車両案の方が増加するが、金利および償却費を含めた経費は大型車両案の方が有利であり、また生駒トンネルの補修費を考慮すると大型車両の方がはるかに有利であることが判明した。また、小・中型車両では輸送量の限度が1970年(昭和45年)ごろと早く到来すると予測されたのに対して、大型車両では1976 - 1977年(昭和51 - 52年)ごろと予測され、大阪近郊における複々線(現けいはんな線)の建設時期を将来に繰り延べできる利点も有することが明らかとなった。そのほか、難波延長線(現難波線)の建設時までに既設路線を改良しておけば、延長線の停車場の有効長を短縮でき余剰建設費の支出を避け得ること、将来電車線の電圧を600Vから1,500Vに昇圧すれば、大阪線や名古屋線の車両との流用が可能となり、車両検修設備の統合ができることなど、合理化の面においても有利であった。 このため、開業時から使用していた小・中型車から車体規格を大きくすることにした。それに際して建築限界を拡大する必要から、新生駒トンネル(長さ3,494m)を新たに開削している。 当節の参考文献: 『新生駒トンネル建設工事記録 付 奈良線改良工事概要』近畿日本鉄道、1966年9月。
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