1976 - 1977年とは? わかりやすく解説

1976 - 1977年

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/14 08:49 UTC 版)

バローネターフ」の記事における「1976 - 1977年」の解説

5歳となった冬も再び裂蹄起こし、3ヶ月休養の後中山障害オープン出走したが3着に敗れた。そして本番中山大障害(春)でも6頭立て5番手から追い込んだ優勝したエリモイーグルから12馬身差の3着に終わった。続く障害オープン東京障害特別(春)をそれぞれ、5着、3着と落としその後挫石を発症したこの後遺症が年末まで続き暮れ大障害後方のまま優勝したサクラオンリーから2.7秒差の6着と惨敗した1977年はまたも裂蹄起こして3ヶ月休養後、中山障害ステークス出走4番人気評価落としていたが、2着のヤシマリュウを9馬身引き離して快勝し中山大障害(春)へ。レース4番人気ダンケルク大逃げ打ちバローネターフはソネラオーを見ながら3番手。最終第3コーナー気合をつけると一気ダンケルク抜き去り、2着となったソネラオーに2.3秒の差をつける独走中山大障害を初制覇した。そして6月東京障害特別でも早め先頭から押し切って優勝この頃からそれまで後方待機策から、先行から早めにスパートする積極策に切り替わった。 4ヶ月休養後、秋の初めの2戦はそれぞれ4着、3着と1番人気を裏切ったが、東京障害特別を64kgの斤量ながら、外から追い込んだ60kgのトキワロッキーに3/4馬身差で春秋連覇達成した。そして中山大障害では同年10戦8勝、春秋京都大障害そして秋の阪神障害ステークス制した関西馬ファンドリナイロとの一騎討ちとなったレースでは逃げるファンドリナイロ、そして2番手の3番人気リバースポートの後ろ追走大土塁でリバースポートが転倒すると他馬を大きく引き離して2頭のマッチレースとなったが、最終障害越えてリード広げゴールではファンドリナイロに1.8秒の大差春秋連覇達成。3着のゴリョウチェスターはファンドリナイロから遅れること5.3秒で入線した。

※この「1976 - 1977年」の解説は、「バローネターフ」の解説の一部です。
「1976 - 1977年」を含む「バローネターフ」の記事については、「バローネターフ」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「1976 - 1977年」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「1976 - 1977年」の関連用語

1976 - 1977年のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



1976 - 1977年のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのバローネターフ (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS