1976 - 1977年
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「バローネターフ」の記事における「1976 - 1977年」の解説
5歳となった冬も再び裂蹄を起こし、3ヶ月の休養の後中山の障害オープンへ出走したが3着に敗れた。そして本番の中山大障害(春)でも6頭立ての5番手から追い込んだが優勝したエリモイーグルから12馬身差の3着に終わった。続く障害オープン、東京障害特別(春)をそれぞれ、5着、3着と落とし、その後挫石を発症した。この後遺症が年末まで続き、暮れの大障害も後方のまま優勝したサクラオンリーから2.7秒差の6着と惨敗した。 1977年はまたも裂蹄を起こして3ヶ月の休養後、中山の障害ステークスに出走。4番人気と評価を落としていたが、2着のヤシマリュウを9馬身引き離して快勝し、中山大障害(春)へ。レースは4番人気ダンケルクが大逃げを打ち、バローネターフはソネラオーを見ながら3番手。最終第3コーナーで気合をつけると一気にダンケルクを抜き去り、2着となったソネラオーに2.3秒の差をつける独走で中山大障害を初制覇した。そして6月の東京障害特別でも早め先頭から押し切って優勝。この頃からそれまでの後方待機策から、先行から早めにスパートする積極策に切り替わった。 4ヶ月の休養後、秋の初めの2戦はそれぞれ4着、3着と1番人気を裏切ったが、東京障害特別を64kgの斤量ながら、外から追い込んだ60kgのトキワロッキーに3/4馬身差で春秋連覇を達成した。そして中山大障害では同年10戦8勝、春秋の京都大障害そして秋の阪神障害ステークスを制した関西馬ファンドリナイロとの一騎討ちとなった。レースでは逃げるファンドリナイロ、そして2番手の3番人気リバースポートの後ろを追走。大土塁でリバースポートが転倒すると他馬を大きく引き離して2頭のマッチレースとなったが、最終障害を越えてリードを広げ、ゴールではファンドリナイロに1.8秒の大差で春秋連覇を達成。3着のゴリョウチェスターはファンドリナイロから遅れること5.3秒で入線した。
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