軍伝書使としての兵役
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/08 07:36 UTC 版)
彼が実験的患者として数ヶ月を過ごした後、軍当局はタッラールに現役に復するように強く迫った。ドクター・クルヴィルは、タッラールの食習慣と消化系の調査を切望し続け、タッラールの異常な能力と行動は軍事的に利用することができるという提案をもって将軍アレクサンドル・デュ・ボアルネに接近した。書類は木箱のなかに入れられ、それは今度はタッラールに食料として与えられた。2日後、箱は彼の排泄物から回収され、書類はまだ解読可能な状態であった。クルヴィルは、デュ・ボアルネに、タッラールはたとえ身体検査されても見つけられるおそれなしに書類を敵地を安全に運んで、軍伝書使として役に立つことができると提案した。 タッラールは、ライン方面軍(Army of the Rhine)の司令官らの集まりの前で能力を実証するようにボアルネによって求められた。箱を首尾よく呑み込んだので、タッラールは報酬として、30ポンド (14 kg)の生(なま)の雄ウシの肺と肝臓でいっぱいの一輪手押し車が与えられたが、彼は集められた将軍らの前でこれをただちに食べた。 この実証に成功したのち、タッラールはライン方面軍のスパイとして正式に雇われた。デュ・ボアルネ将軍は、伝言を内部的に運ぶ身体的能力を確信したけれども、彼は、彼の精神状態について心配し、重要な軍事書類を彼に最初は託することに気が進まなかった。タッラールは、最初の任務として、プロシア人によってノイシュタット(Neustadt)で投獄されているフランスの大佐に伝言を運ぶことを命令された。彼は、書類は軍事的に大いに重要であると語られたが、しかし実際はデュ・ボアルネはたんに大佐に伝言が首尾よく受け取られことを確認し、もしそのようであればプロシア軍の移動について潜在的に有用な情報の返事をするように頼む手紙を書いただけであった。 タッラールは、ドイツの農夫に変装して、暗闇に紛れてプロシア戦線を横断した。ドイツ語を話せないので、彼はまもなく地元の居住者の注意を引き、彼らはプロシア当局に急を知らせ、そして彼はランダウ(Landau)の外で捕獲された。裸にして調べてもなにも疑わしいものは見つからなかったし、プロシアの兵士らにむち打たれたにもかかわらず、彼は自分の任務をもらすことを拒んだ。地元のプロシア司令官ツォエグリ(Zoegli)将軍の前に出されて、彼はふたたび語ることを拒み、投獄された。24時間の監禁のち、タッラールは軟化し、そして捕獲者らにたくらみを説明した。彼は、便所に鎖でつながれ、そして最後には呑み込まれて30時間後に、木箱が現われた。タッラールが重要な情報であると言っていた書類がデュ・ボアルネの偽の伝言にすぎないと判明したとき、ツォエグリは腹を立て、タッラールは絞首台に連れて行かれ、首の周りに絞首索がかかった。(いくつかの情報源は、タッラールは、プロシア人らによってとらえられる前に取り戻し、それを含む便を食べる心の平静があったので、ツォエグリは箱を取り戻さなかったと述べる。)直前になって、ツォエグリは軟化し、タッラールは絞首台から降ろされ、激しく打たれ、フランス戦線の近くで解放された。
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