軍備と戦争
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/06 19:18 UTC 版)
1875年(明治8年)改訂の「六管鎮台表」によれば、第13師管には歩兵第13連隊、第14師管には歩兵第14連隊が配置されることになっていた。ほかに砲兵第6大隊、工兵第6小隊、輜重兵第6小隊、預備砲兵第3大隊、預備工兵第3小隊、長崎と鹿児島の海岸砲隊が熊本鎮台に属した。騎兵はない。人員の総数は平時4780人、戦時6920人である。しかし定員は計画上のもので、実際の充足にはなお時を要した。歩兵第13連隊と14連隊は、1875年(明治8年)9月に編成されたので、それ以前(佐賀の乱まで)は大隊が基本単位であった。 鎮台の任務は、国内反乱の鎮圧と対外的な防衛にあったが、士族反乱に対する国内向けの比重が大きかった。熊本鎮台は、近代日本最初の対外戦争となった1874年(明治7年)の台湾出兵で兵力を出し、同年に勃発した佐賀の乱を鎮圧した。1876年(明治9年)の神風連の乱では鎮台司令官が殺されたが反撃して鎮圧した。1877年(明治10年)には当時の日本陸軍の総力を挙げた戦争となった西南戦争が起き、熊本鎮台の兵は熊本城に籠城して守りきった。
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