車両・運賃・運転
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/05 00:17 UTC 版)
「ベーカーストリート・アンド・ウォータールー鉄道」の記事における「車両・運賃・運転」の解説
ベーカーストリート・アンド・ウォータールー鉄道の開業時用にはロンドン地下電気鉄道用にアメリカン・カー・アンド・ファンドリー(英語版)で製造され、マンチェスターで最終組み立てが行われた車両のうち108両が充てられた。車両はマンチェスターからロンドンまでは鉄道で輸送されたが、ベーカーストリート・アンド・ウォータールー鉄道の路線は他の鉄道路線と接続していなかったため、ロンドン・ロード車両基地までの最後の区間は馬に牽かれた荷車に載せられて運搬された。 列車は動力用の機関車をもたない電車による編成となった。乗客は車両の両端に設けられた折りたたみ式の格子状ゲートを通って乗降した。ゲートマンと呼ばれる乗務員が車両両端のデッキに乗車し、ゲートの開閉を担当するとともに駅到着時には駅名を案内していた。同様の設計の車両は同じくロンドン地下電気鉄道の傘下にあったグレート・ノーザン・ピカデリー・アンド・ブロンプトン鉄道とチャリングクロス・ユーストン・アンド・ハムステッド鉄道でも使用され、1906形電車又はゲート形電車と呼ばれた。ベーカーストリート・アンド・ウォータールー鉄道用の車両は、ケニントン・ロード駅の南側に設けられたロンドン・ロード車両基地に配置されていた。 土曜日を含む平日は午前5時30分から午前0時30分まで、日曜日は午前7時30分から正午まで列車が運転された。開業時の通常片道運賃は全線均一で2ペンス(英語版)だった。午前7時58分まで利用できる「労働者切符」は1往復で2ペンス、25枚つづりの回数券は4シリング(英語版)だった。均一運賃は1906年7月に廃止され、運賃は乗車距離に応じた1ペニーから3ペンスとなった。1906年11月にはチャリング・クロス乗継のディストリクト鉄道との連絡切符に加え、定期券が、1907年12月にはオックスフォード・サーカス乗継のセントラル・ロンドン鉄道との連絡切符がそれぞれ発売された。1908年10月には定期券が廃止され、ロンドン地下電気鉄道傘下3つの大深度地下鉄会社で使用できる6枚綴りの回数券が発売された。 1906年中ごろの列車運転頻度は以下の通り。 平日 午前5時30分から午前7時30分:5分間隔 午前7時30分から午後11時30 分:3分間隔 午後11時30分から午前0時30分:6分間隔 日曜日 午前5時30分から午前7時:6分間隔 午前11 時から正午:3分間隔
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