起業家としての活動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/16 06:28 UTC 版)
「ラリー・ウィルコックス」の記事における「起業家としての活動」の解説
「白バイ野郎ジョン&パンチ」に出演中の1980年頃、番組制作会社のウィルコックスプロダクションを設立し、 ”Death of a Centerfoldz”(1981)やテレビシリーズ「レイ・ブラッドベリSF怪奇劇場」などを制作した。特に”Death of a Centerfold”は若くしてボーイフレンドに撃ち殺された実在のプレイボーイ誌のプレイメイトを描くテレビ映画であるが、自分の姉が身近な人間に射殺されたウィルコックスにとって深い意味を持つ作品であった。 起業家としても知られる彼は、1990年代の中頃にTeam Eliteという製薬会社を、1999年にMedia Coreというブロードバンド通信会社を経営していた記録がある。 さらに1999年にはUC HUB Group inc.を設立し、ラスベガスを拠点にイリノイ州での石油・天然ガスの採掘および生産、モンタナ州での金鉱やサファイヤの採掘および貴金属品の生産販売、ブロードバンド通信の提供など幅広い事業を展開した。 しかし業績は思わしくなく、2010年に自社の株取引詐欺罪で逮捕された。 仲間と共にUC HUBグループ株を投資家に買わせて株価を上昇させ、その引き換えに投資家からキックバックを受け取ろうと企んだ。その話しに興味を持った『南フロリダで年金事務所に勤める男』に会いにフロリダ州に飛んだが、男はFBIのおとり捜査官だった。容疑を認めたウィルコックスは司法取引に応じ、隠しマイクを付けるなどして他2名の共犯者の逮捕に協力した。 ウィルコックスには執行猶予3年および500時間の奉仕活動、罰金100ドルの判決が言い渡された。法廷では、金銭的に非常に苦しく5人の子供たちの養育費が支払えなかった、と涙を流して謝罪したと伝えられている。自ら率先して1000時間を超えるボランティア活動を行なった。UC HUBグループの負債総額は最終的に450万ドルに膨れ上がり2013年に破産した。 2017〜2018年頃のインタビューによれば、"CHiPs”のテレビシリーズをリメイクしようと権利を取得したが実現には至らなかったという。また小規模な制作会社を起ち上げフランク・キャプラの「素晴らしき哉人生」や「スミス都へ行く」を現代風にアレンジした映画を作ってみたいと今後の夢を語っている。
※この「起業家としての活動」の解説は、「ラリー・ウィルコックス」の解説の一部です。
「起業家としての活動」を含む「ラリー・ウィルコックス」の記事については、「ラリー・ウィルコックス」の概要を参照ください。
- 起業家としての活動のページへのリンク