起業家としての台頭
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/12 00:14 UTC 版)
小規模の雑貨店の家庭に生まれる。15歳の時に上海に至って染料店の瑞原顔料行で店員となり、また夜間の余暇を利用して英語も学んだ。1892年(光緒18年)より、ドイツ企業の魯麟洋行で外交員となり、さらにコンプラドール(仲買人、買弁)に昇進している。1903年(光緒29年)、荷蘭銀行コンプラドールに転任した。1906年(光緒32年)、日本へ商務視察に赴き、大隈重信らと面識を得ている。 帰国後の1908年(光緒34年)、同郷人らと四明銀行を創立し、ここから起業家としての経歴が本格的に開始される。同年、汽船会社の寧紹商輪公司を創立し、事業も好調に展開された。1909年(宣統元年)、両江総督端方の賛同・支援を得て南洋勧業会を南京で開催し、盛況を得ている。
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